物事集 令和二年五月版
Wuauquikuna 「五月十五日」
+++ ウァウクイクーナ? +++
先日、偶々・突然、「YouTube」上でRaimy&Carlosの曲や、“彼らとWuaquikuna”の合奏や踊りに出逢って、憑りつかれたようになって、数日間、殆ど一日中見聞きし捲っていた。(図1)
同じ調子の繰り返しなのに、一向に飽きない、ずっと聞いていたい不思議な曲群と楽器だ♪
正体が知りたくなって、取り敢えず、四人の名前だけは拾ったが、グループ名“Wuaquikunaの読み方や、意味などがさっぱり分からず、興味津々。
このグループは、Luis SalazarさんとFabian Salazarさんのお二人だけなのかな?
RaimyさんやCalrosさんも同じSalazar姓で兄弟らしいが、他のお二人とはどういった関係なんだろう?(図2<クリック>)
後で、Fabianさんの自己・他己紹介などから、Raimyさんとは兄弟らしいことは分かったが、そうすると四人ともご兄弟であると見て良いのかな?!
で、彼らは一体、何人なのかな?インカの末裔?それともアメリカ・インディアンの末裔?それとも只の(ストリート・)ミュージシャン?
それと、もう一人、(この人は全くの他人だろうが、)共演されていたCristoferさんも印象に残っている。
彼は、バイオリンが得意そうだし、笛の方も結構上手だが、ソロよりも、“Wuaquikunaと共演している時にはとても楽しそうに見える。
色々、そんなことを思い感じながら聞いていると、更に愉しい♪
『楊令伝』、『岳飛伝』 「五月九日」
『楊令伝《十五》』、『岳飛伝《一》』 北方 謙三著 集英社文庫 2012年8月 1刷、2016年11月 共¥600+税』 (購入¥460、¥110税込み)
+++ 就寝前の読書 +++
近頃は、他の本には眼が向かず、専ら、北方謙三氏の『楊令伝』を、就寝前の約1時間を充てて、読んで来た。
それが、遂に、終章・第十五巻まで来てしまった。
しかし、有り難いことに、これの続きで『岳飛伝』が十七巻まであるので、まだまだ愉しめるわけだ♪
北方版『水滸伝』、『楊令伝』を読んで来て思うのは、新しい“国造り”は何を目指すか、その中での"強いリーダー的存在”の不可欠性や、そうした存在が居なくなった後の“国”の形や方向性はどうなるか、など、今の日本国の状況と照らし合わせながら、考えているのも面白い。
“国”を思った方向に動かす(/動かして貰う?)には、独裁政権の方が良いが、一方で独裁者の居ない民主主義は、方向がバラバラか、または向きが逆の引っ張り合いになってしまい易いので、“国”としては弱くなるのが普通だろう。(今の大英帝国がその一例かも)
北方『水滸伝』では、リーダ探し、『楊令伝』では、そのリーダが暗黙の独裁者となり、最後は独裁者の死亡で終わる。
『岳飛伝』では、リーダ/独裁者の居ない“国”をどうやって維持・存続させて行くかが、皆の“将来の課題”ということらしい。
さて、私たちの“日本国”は、将来どうなって行く、あるいはどう持って行くべきだろう?
それはさて置き、読書に関しては、まだ北方版『史記』、『三国志』の文庫版などへの“切り替え”が残っているので、読むことは途切れることは無いと思っている。