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物事集 二〇一九年三月版



『天皇家百五十年の戦い』  「三月二十九日」

『天皇家百五十年の戦い 江崎 道朗著 ビジネス社 2019年4月 1刷 ¥1,700+税』 (新刊購入 ¥1,836税込み)

私は、どちらかといえば、物事を“理屈っぽく”(唯物的に?)考えたくなる方で、以前から、『天皇』は、人間の両面性(善・悪)の内の“善の半身”を具現されているのだと解釈していた。
だが、最近、色々な説を拝見するようになって、つい、四季折々に愛(め)でたくなるような自然の花・草木や鳥達と同じように、私達日本人として、『(何となく)尊崇すべきお方』だと思うようになって来た。

それは『教育勅語』に、 『朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ演リニシテヘ育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス...』とあるように、“私達臣民が忠と考を尽しながら、皆と一緒になって“国体”を成して来た“徳を体現したお方”だからということだ。

先日、紹介されていたこの本を買って来て読んでみて、(何となく)感激してしまった!
天皇・皇室が現憲法典によって、憲法典下にまで引き摺り降ろされてしまった後でも、皇祖皇宗から引き継いで来られた日本国の国体をどうやって護持しようかと悩まれ、そして決心されて、国民一人々々を慰問することによりそれを懸命に体現されて来た様子が描かれていたからだ。
その間、何とかして、皇室を貶め、果ては無くしてしまおうと企んで来た(精神的に)悪逆な勢力の(無形・有形の)攻勢と戦って来られた、という。

この本を読みながら、憲法改正は、「自衛隊の明記」などは後回しでも、“天皇条項と皇室典範を、現憲法典から分離すること”、“別枠予算での皇室運用”が最優先事項ではないかと思った。
今の状態は、“孫悟空”(愚かな私達国民)が、“お釈迦様”の掌の上で自分の飛翔力/主権在民自慢をしているようなもので、遠くまで飛んで行って立っている壁に“証拠書き”をしたはずなのに、其処は、やはり“お釈迦様”の指先だったという話と同じだろうな。
「日本の国体/国家体制」は、お釈迦様の掌のようなものであり、やはり、「皇室典範」は「日本国憲法典」とは別立てで成り立たせるものだと思う。



『偽書が描いた日本の超古代史』  「三月二十五日」

『偽書が描いた日本の超古代史 原田 実著 KAWADE夢文庫 2018年11月 2刷 ¥720+税』 (新刊購入 ¥778税込み)

古文書、「竹内文書」などには超古代(?)の話があるそうなので、もう少し内容を知りたいと思っているのだが、なかなか良い書籍が見付けられなかった。
(超古代の話を書いたものなんて、どれも“トンでも本”なのではないかと思いながら)

探しに探して、やっとこの本を見付けた。
この本は、“偽書”と言われている各種の古史古伝・古文書の簡単な内容紹介や俯瞰的な評価・講評なので、大変参考になる!

この本で、(更に興味深い)『上記(うえつふみ)』という文書が有ることを知った。
それをネットで手繰ってみると、この『上記』は、被征服者の歴史書なのだそうな。
そして、『古事記』・『日本書記』は、後から来た征服者(大和王朝)が書いた歴史書だということらしい。『参考サイト:「ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究」
それは、『古事記』が、“古伝などを参考にした”と明記していることからも、納得出来る。
尤も、それらそのまま全部転記したわけではなく、当然、都合良く省略・抜粋・改変をしただろうことは想像に難くない。
そうしたことの良し悪しは、別にして、(捏造ではない)“真実の歴史”を洗い出して繋いで見ることは、後世の人間にとっては、大切なことではなかろうか?

その意味で、『上記(うえつふみ)』(の解説など)を、出来ればもう少し詳しく知りたい。
しかし、もっと旧い“超古代の伝説・神話の資料”や“それらと遺伝子/DNAとの関連を伺わせる資料”などは無いものか?などと空想的な期待をしている。



『反ポピュリズム論』  「三月二十五日」

『反ポピュリズム論 渡邉 恒雄著 新潮社 2012年10月 10刷 ¥700+税』 (購入 ¥108税込み)
『体制維新−大阪都 橋下 徹、堺屋 太一共著 文藝春秋 2012年1月 4刷 ¥850+税』 (購入 ¥108税込み)

ポピュリズム」という言葉は、人によって解釈や使い方が違うらしいので、試しに、(ベストセラーらしい)これらの本を買ってみた。
ナベツネ氏のこの本は、単に橋下氏らの「手法」を非難しているだけのようだ。

他方、橋下氏、堺屋氏の方は、“体制を変える話”で、謂わば、俯瞰的な視点から体制を変えて行こうという話だが、その「橋下手法」については、なかなか個性的だ。
が、昔の小泉元首相の“自民党をぶっ壊す!郵政民営化!”に似ている。あれも結局は、ナベツネ氏も認めるように、「ポピュリズム」政治だった。
でも、氏の好き嫌いに拘らず、政治は結果を出してナンボの世界のはず。(笑)

渡邉氏は、例えば、“現政治の不具合”を改善するにしても、“過去・現状の範囲内で”やらねばならないという、自縄自縛的な話に終始していることが分かる。そして、ただ、“橋下手法”を、単純に「ポピュリズム手法」だと講評・非難するばかりで、改善すべきことが山積していても、旧態依然の「もっとスマートにやれ!」で「ポピュリズム反対!」と云うだけ、と読める。

だが、そんな理屈・主義主張だけでは、70年経っても、日本国憲法典の条文の誤植一文字(憲政学者 倉山氏の指摘)すら変えて来れなかったことには、全然気付いてもいない様子。それでは、何も“実り”が無いではないか?...結局、新聞記者は文字を書くだけ(に堕する?)!

興味深いのは、『体制維新−大阪都』の中で、次のような提言がある。
 ▼総理大臣はもっと海外に行け
 ▼国の形の大変革、「何から何まで国がやる」では成長しない
 ▼公務員もクビにできる制度に

私は、渡邉氏が、これらをご自身の「ナベツネ手法」(?があればの話だが?)で実行・実現して見せて欲しいと思うのだが、どうかな?



『本音で生きる』  「三月二十三日」

『本音で生きる 堀江 貴文著 SBクリエイティブ 2017年10月 24刷 ¥800+税』 (購入 ¥108税込み)

3月21日の産経新聞朝刊の第1面に「景気は下降気味」と出ていた。
「デフレ期の消費増税は、更に景気を悪化させる」との経済学者や有識者の意見が多いが、果たして、安倍首相は、“増税の再々延期”が出来るだろうか?その気力・実力があるだろうか?
麻生財務相を始めとする“増税容認・促進派の連中”は、もし増税によって更に不況が促進されるようなことになれば、その責任を取る覚悟はあるか?いや、とてもとてもで、今回も例によって、“無責任、皆で渡ろう赤信号!”だろうな。
もしかしたら、官房長官の奮闘(軽減税率対応による“公明党抱き込み”)の労に、安倍首相も、おいそれと、“再々延期”を言い出し難くなったかな?

...そんなことを思いながら、この本をめくっていた。

日本の社会では、常に調和を大事にするため、“突出意見”や“異端意見”はなかなか受け入れて貰えないという嘆きはある。
だが、自分に実力さえあれば、自分の責任で実行・実現しようとすれば良いだけなので、あれこれ悩むことは無かろうと思う。
本音が言えないというのは、実は、自分で実行する気が無いからではないか?

堀江氏のこうした本が、ベストセラーになる背景/世の中には、皆が自己責任で自発的に実行することなどは考えず、単に(集団・社会に向かって)意見を云うだけ/愚痴を溢すだけになっているからではないかと思う。
結局、集団依存、集団任せで居ながら、自分の殻の中から出られないことを嘆き、かつ、他力で殻から出られればいいなと夢を見ながら、そのための便法/実力者のアドバイスを受けたがっているようにも思える。
尤も、(私自身も、実力が伴わないので、)このホリエモン氏のアドバイスには、“ご無理ご尤も!”と思いながら拝読した。(苦笑)



『財務省人事』  「三月十九日」

『財務省人事が日本を決める 山村 明義著 徳間書店 2019年2月 1刷 ¥1,600+税』 (新刊購入 ¥1,600+税)

ネット番組『チャネルくらら』の財務省ダービーを面白く拝見して、書かれたものを読んでみたくなった。
...「まえがき」や「第1章」を拝読しながら、本物の“ジャーナリスト”として“丹念に情報を収集し、それらを纏める方法論”について、丁寧に説明されているのに、頷いていた。
今時の、新聞やラジオ・TVの自称ジャーナリスト達の、単に、政府から出される発表や発言者らにマイクを付き付けてその声を拾って来て、それらを、さも自分達が“集めて来たニュース”らしく記事にするという“お粗末な取材態度”に対する痛烈な皮肉ではないかと思った。


最後まで読んで、確かに財務省は、黒子的役割の部署ではあるが、首相や大臣の考えがあやふやであったり、怪しい時には、梃子でも動かせない程強固な方針で動いているらしいことや、あるいは、「首相」が財政に関してしっかりした考え方を持ち、圧力を掛けてコントロールすれば、動かない部署でもないことが読み取れた。
財務官僚の基本方針は、“借金は嫌いだ!収支の合計は常にゼロにしたい”という私達日本人の(心の奥の)心情を、そのまま真面目に“国の財政”に当て嵌めたいと考えているだけのように見える。
だが、そんな姿勢では、収支・財政を改善する新しい方法などを、思い付けるわけが無い。

“冒険”を指示出来るのは、財務大臣か首相だけで、本来なら財務大臣がしっかりした経済・財務ポリシーを持ち、財務省と膝詰めで、日本の財政を決めて行くべきだと思うのだが、どうも、これまでのどの大臣も、(日本国全体の正しい方向付けが出来ず、我が強いだけの?)所謂ノンポリのように見える。
私達日本庶民・市民は、出来れば、高橋 是清翁の再来を望みたい!



『病は気から&遺伝子』  「三月十七日」

以前、R・ドーキンス氏の『遺伝子の川』(図2<クリック>)を読んで以降、“人間の精神・意思と、遺伝子群との間の目には見えない交信/やり取り”の問題を考えるようになった。
同じようなことを考える人(達)が居るのかどうかをネットで調べてみたら、やはり居られた!
武田 邦彦氏は、「遺伝子」+「頭脳」を「神」に喩えて居られるようだ。
(図1 『“神”を科学的に解き明かした』 You Tube動画

[神は遺伝子群の投影像?]
確かに、世界には、無数の宗教(群)があり、それぞれ“神”や“神もどき”を敬っているという。西洋の一神教ですら、解釈の違いによる沢山の分派があるそうだし。
私達の日本でも、八百万の神々が在り、万物にも神が宿っていることになっているが、それらが、人々が自身に内蔵している“遺伝子群の投影像”(極微小域の像→無限遠の神)だと考えたら、確かに頷ける話だろう。

[遺伝子への通信
一方、私は遺伝子群(との交信)に関しては、「病は気から」などの庶民信仰(?!)の方を重く考えている。
例えば、仕事などで緊張している時には引かないが、緊張が緩んだ時、風邪などを引き易いとか、あるいは、を告知されてからでも、強い意志で通常通りの生活を続けたら何時の間にかが消え医者が首を傾げた?!とかいった話を聞くが、これらは、人の顕在的な意思・意欲が、(極微細な)遺伝子群から成る身体に強く働き掛けていることを窺わせる。

ところで、遺伝子群を内蔵する細胞群は、作られる寸前はすべて(万能的な)“iPS細胞もどき”だそうな。それらが、体内の各場所・環境によって、各場所特有の細胞に変化するという。例えば、腸壁なら「粘膜」に、指先なら「爪」にと変化するわけだ。
その“細胞生成の自動指令”を、“(人の)意志・意欲の力”で変えることが出来れば、癌細胞をも、通常細胞に切り替えられるのではないか。
そして、「意志・意欲」は(自分の肉体を構成している)遺伝子群に向かっての「(改善|改悪)命令を送信する/伝える指令」ではないか。
ひょっとしたら、“偽薬(プラシボ)”も、同じ働きをするのかもしれない。

まぁ、現実には、そうしたことの詳しい知識も無いし、訓練などもしていないから、(夢みたいに)難しいことなんだろうけど。

[健康維持を意思・意志の力で]
私は、以前から、自分に対して、“常に、健康のまま死ねるよう努力しよう!”と毎日念じている。
そのお蔭か、近年は「虫歯」、「アトピー性皮膚炎」と「尿路結石」以外の大病を、患ったことがないし、それらの回復も早かったと思う。
「腰痛」なども、意識して排除するようにしていて、それが酷く辛い時には、湿布貼り薬(サロンパスなど)を1/4サイズに切り分けてその小片一枚だけを貼っておく。それだけで、一日で直ってしまう。
広い範囲にべったり貼る必要は無いので、その小片は、一種の(遺伝子群への)指令用刺激信号のような働きをしているのだろうと思う。

昨今の世の中では、自らが、“癒されたい/病気になりたい”と思っている人達が、結構居るらしい。何か変調があると、直ぐ気弱になるし、挙句に買薬や病院通い。そうした風潮に乗って、薬屋や病院・医院が大繁盛!薬メーカは儲かり、医師不足に拍車が掛かる!?
だが、何時までもそんな状態が続けば、子や孫達以降の世代が困るのだ!

[幼児からの訓練]
その対策として、幼児教育、家庭教育で、「意思・意志を強める訓練」をさせるのが良いと思う。
つまり、幼少時から“私は/私たちは、病気や怪我などに負けない、元気で強い人になります!”(とだけ)念仏のように唱えさせることだ。
これだけの「発声、唱和」なら、(大人の)誰でもが、子供達に指示出来て、誰も反対は出来まい!
情緒主義一辺倒の香山リカ氏や瀬戸内晴海氏ですら、反対は出来ないだろう!いや、医者や癒しの仕事が減るから反対かな?嘲笑)



『既成権力者の崩壊』  「三月十五日」

『既成権力者の崩壊 日下 公人著 李白社 2012年2月 1刷 ¥1,500+税』 (購入 ¥200税込み)

分かり難い/固い表題なので迷ったが、この著者の内容には、“外れは無い!”と思っているので、買って来た。
確かにそうだ!と思える内容が盛り沢山だ。例えば、
 +「将来性のある人材」から「即戦力の人材」への転換 ・・・ 大卒の値打ちが下落
 +人材は「育成」ではなく「発掘」し「登用」するものだ ・・・ 地方・国会議員なども同じ
 +裁判所の判決を自分の結論にしてしまう日本人は情けない ・・・ 自分自身で是々非々を考える
 +原発技術が進歩しているのに聞く耳を持たない反原発派 ・・・ 非理性的感情論ばかり

などなど。

だが、一箇所、妙な記述があった。「財政赤字」の話だ。(図2<クリック>
 *国家資本主義を掲げて残ったのは膨大な財政赤字 ・・・ やはり赤字は赤字??

過日、「政府の借金」は公共投資などに使われて、「国民の資産」として残るものだと学んだつもりだったのだが...もしかしたら、そうではないのか?
一瞬、この著者の考えは、間違っているのではないのか?と思った。だが、じっくり考えてみると、次のような節があったことを思い出した。
 *復興事業を行わないで放置しておいたらどうなったか
・・・ あっ!そうか!政府は、道路や公共施設などのインフラを用意するだけにして、後は民間が自力復興で生活環境を整えて行くってのが、本来の在り方なのかもしれない!政府支援(公共投資)は最小限にし、インフラ整備後に人々の営みが活発化すれば、投資分は、廻り回って“税収入”として回収出来るから、(丸々)借金としては残らないわけだ!・・・つまり、政府は支援などせず、民間活力だけで回復させなさい!ってことらしい!

...ところが現状の如く、あまりにも(非生産的に)国の支援に頼り切っている人々が多くなると、投資効果は薄くなり、後で税金として満足な回収も出来ず、只管政府の借金として積み重なるだけという結果になる。
オマケに、そうした理屈は、被災者やマスコミ連中には、とても理解されないだろうし、単純に“思い遣りが無い!”などの“感情的反発”を買うだけになる。結局、これまでの政府は、そうした“税収で回収出来ない無効な投資”ばかりをやって来て、「財政赤字」は積み上がるばかり!

財務省が宣伝している「財政赤字」は、やはり本当に赤字だった!それがウソだと思っていたのは、私の間違いだった。
(だが、この政府の赤字は、私達一般庶民・市民が心配する類のモノではなく、政府の“成長戦略の方法”次第でどうにでもなるものらしい)

ただ、下らない「消費税増税」など願い下げだ!と思っているので、もっと実情と対策例を知りたい!
尚、この本は、調べたら、以前読んだことがあったらしいが、まったく忘れていた。でも、今回も得るところが多かった!



『国の借金 ?』  「三月十三日」

国の借金 三橋TV」 You Tube番組 2019年3月7日公開

先日、“ネット番組「三橋TV」”を、大変興味深く拝見した!
其処で、所謂“日本の借金”の意味が、(更に)良く分かった。

実は、その“借金”というのは『日本政府の借金(貸主は日銀←銀行群←国民)』であって、『日本国』の「外国からの借金」ではない、つまり『国の借金』という呼び方は不適切だってことらしい。
(その昔、日本国が戦争を始めざるを得なかった時に、お金が足りないので「債権」を発行して、日本国内は勿論、英国など外国にも買って貰ったことはあるそうだ。当然、それらは既に償還済み)

考えると、「国債」は一種の“利息付き税金”で、“納めた分に利息を付けてくれる風変わりな税収”と解釈することも出来る!かな?
でも、それは、政府と日銀(や銀行)との間の貸し借りだけの話であって、私達一般人が直接取られる税金ではないし、残念ながら(?)、直接利息が貰えるわけでもないのだが。(苦笑)
尤も、間接的には、私達の銀行預金の利息として、響いて来る。だから、マイナス金利になると、逆に“預け利息”を取られるかも。(とほほ)

...で、この画面の右上がりの棒グラフ(図1)の途中々々で、時の政府が毎回“財政破綻は目前だ!”と叫んでいたという説明を聞いて、(肝試し会などで)“オバケが出るぞー!”と脅かされて来たような“バカバカしさ”を感じた。(勿論、オバケは、見たい人には、見えるらしいが)

この番組では、現在【1970年の152倍になったクニノシャッキン】ということだが、日本国が存続する限り、この倍率は何処までも大きくなり得る(天井知らず!)し、上昇率/勾配は世界全体の中での日本国の経済力推移に沿ったものだろうし、それの(無限大への)“増大”は、国が健全で、活きている証拠だろうと読めた。(もし、右下がりにでもなれば、国は不健康で死に態だってことらしい)

...そう言えば、昔(ドンダケー!)、十銭紙幣で飴玉を買った記憶があるが、今だと、それがほぼ十円玉相当になっている。
つまり、お金の単位が、知らず知らずの内に100倍近くになって来たことは、身を持って知っているのだが、その途中で、“国債発行を停めて、財政破綻の危機を回避した”などという話は見たことも・聞いたことも無い。その間も、相変わらず「赤字?国債」は増え続けていたようだ。
だから、“財政破綻説”は真っ赤なウソ=デマではないかと思う。

財政破綻説”は、「消費税増税」の為だそうだが、どうやらこれは財務省の“借金側だけを見せるフェイク情報”であって、実は、景気に左右されない安定した税収入を扱いたいだけの“財務省の保身策”の一つではないかと、素人目には読める。
まぁ、毎年、複雑で入り組んだ税収入、税配分勘定をする側にしてみれば、少しでも不安定要素を減らしたいと思うのも無理無いことかもしれないが。



『デフレの正体』  「三月九日」

『デフレの正体 藻谷 浩介著 角川oneテーマ21 2010年11月 10刷 ¥724+税』 (購入 ¥108税込み)

“デフレ、デフレ”という言葉をよく聞くし、「アベノミクス」はそれを脱却する施策だということだが、“デフレの原因”は一体何?という“素人の疑問”が湧いて来た。
それで、そうしたタイトルのこの本を買ってみた。
...色々なことがグダグダ書かれてあるのだが、“原因”というのが、さっぱり分からない!特に、私は理系頭なので、論理的、系統的に考えてみたいのだが、とても理路整然な話ではない。
(文中に、『「自虐史観は許さない」と威張っているネット右翼の連中が、先頭を切ってそうだったりするので困ります。...』とか、単なる個人の感情的な感想/意見?で、自説を褒める/正当化するような書き方が見られるのは、とても“学問的資料”にはなり得ない!と思うが)

文中からは、“デフレの原因”を読み取れなかったので、改めて目次を見直してみたら、どうやら「人口減少」が、“デフレ”の原因だと云いたいらしいようだ。(図2<クリック>
確かに、日本はバブル崩壊期までに、随分多くの資産を作り出し、その後も絶えること無く資産を作り続けて来ているので、それを若い世代が、増え続け、更に多く生産と消費を拡大し続けなければ、余剰分が/も残り続けるわけだ。・・・(そうした、モノ・カネ余り状態を“デフレ”と言うらしい)
だから、その余剰資産分は、医療・福祉や富の再配分などにばら撒いて、消化してしまえば、“デフレ”なるものはスッキリ?解消するというのが、この本の趣旨らしいが。(ホントかな?)

...では、その資産・富の余剰分が尽き、若い人たちが働かなくなり、老人が死滅し、そして、女性達の経営・政治参画を推進し、また“観光収入”だけで日本経済を維持・存続させ、やがて日本国が女性ヘッドだけになり、国土が他国人らで埋まってしまった時、世の中は一体どうなるの?という、“更なる疑問”が湧いて来る。
(“女性の経営・政治参画思想”は、前任者の計画した施策をぶっ壊すだけが仕事の小池東京都知事や、ひたすら政府攻撃だけに明け暮れる疑惑オンパレードの辻元民進党議員や、親父さんの事業を改悪した上今更ながらの中国進出まで考えている大塚家具販売女性社長や、女だから女だからと泣き言ばかりで、精神を病んでいるらしい香山女性精神科医などを見ても分かるように、実は、女性の就業にはとても不適な分野で、本来の女性の役割分担を間違えた考え方だということだ!)

突き詰めると、この著者の考え方は、(意図的に?)日本国が無くなる/日本国を潰すってことではないか!?
それって、左翼思想に近いのではないのかな?...だから、文中で“ネット右翼”などという“レッテル張り的な文言”が出て来るわけか?!(やれやれ...)
この本は、私達日本庶民の真面目な疑問に答えてくれるものではなかった!買って損した!



『くよくよしない!』  「三月七日」

『くよくよしない! 日下 公人、ひろ さちや共著 WAC 2006年9月 1刷 ¥933+税』 (購入 ¥108税込み)

倉山 満氏の【倉山満】 逆・教育勅語KAZUYA氏のネット番組「甦れ!修身」を拝見していて、確かに、『教育勅語』は、私達日本人に必須の“大切な基本理念”であることがよく分かる。
だが、今の日本の現実を見ると、これを子供達に教えるには、もう手遅れではないか?と感じられて仕方がない。
むしろ、現状は、「教育勅語」がそのまま実行されていて、もう順方向に戻せない程に家庭・教育・情報環境が悪く整い過ぎてしまっているような気がする。...
(環境と言えば、NHKを乗っ取りでもしなければ、情報環境を改善することは難しいのではないか?!)

そんな悲観的ではなくて、もっと“楽観的な見方”は無いかと探しているのだが、様々な意見・見解の中で、日下 公人氏の著作や発言は、大変参考になる。
この本もその一つではないかと思った。

尤も、日下氏のご意見は、単なる(何もしないで良いという)“楽観論”ではなくて、(意図して)“目指すべき方向”を示されているだけなので、実現するための行動は、私達自身が起こす必要がある。...つまり、“座して待つ式の楽観論”ではないということ。
(共著者のひろ氏の意見の方は、やはり宗教的評論の域を出ず、所謂“他力本願...座して待つ式”が基本なので、殆ど参考にはならない)



『岳飛伝 九』  「三月五日」

『岳飛伝 九 北方 謙三著 集英社 2014年5月 1刷 ¥1,600+税』 (購入 ¥200税込み)

待っていたこれらが、やっと二百円の棚に並び始めたので、纏めて買って来た。(ただ、『十二』だけは、まだ五百円だったが)

このシリーズは、著者・北方謙三氏が『北方水滸伝』を、小説『楊令伝』へと展開し、更に、小説『岳飛伝』へと発展させて来たもので、「梁山泊」分派や「岳家軍」らが連携しながら、既存の王朝(金国、南宋など)に逆らって、未開だった南方(現在のタイやベトナム地域)に新しい「国づくり」を始めるという話。

梁山泊」は、“武力”とこれを支える“流通による利益”の組み合わせで、体制維持を図って来たわけだが、南方の「小梁山」では、“農業”+“流通”とこれらを保護する“武力”の組み合わせで描かれている。

これを読みながら、(小説ではあるが)つくづく羨ましい!と思った。
今の私達の日本国は、力強い指導者(達)も居なければ、私達一般人の“他人依存の腑抜けた状態”を抜け出す意欲も薄く、また敵性人達の思想的な侵入・浸潤をいとも簡単に許している現状では、(「国づくり」どころか、)“国解体中”としか思えないからだ。
私達一般人は殆ど無力で、愚痴るだけしか出来ないのが、大変悔しい!

明治の元勲達のような優れた指導者達が、居なくなった途端に、グズグズの議会主義・民主主義に変わって行ったことを思うと、やはり、私達の日本国にも、常に“優れた指導者層”が必要だと思う!
更に、彼らを私達一般人がきちんと支える方式を組み立てないと、駄目だろうな。
それには、「階層構造」など、定量的に重み付けする意味やその価値を学ぶ必要があろう。

因みに、現在の米国産“(生煮え)民主主義”や“(異民族混在)平等主義”、“(低能)自由主義”は、もう、私達の日本国には“害あって益無し”の考え方ではないかと思う。



『炎上上等』  「三月三日」

『炎上上等 高須 克弥著 扶桑社新書 2018年3月 1刷 ¥830+税』 (購入 ¥830+税)

AIを道具として作る話”を書いた本を探しに行った時、この本を発見して、一寸読み始めたら面白過ぎて、遂に買って来てしまった。

確かに、帯にもあるように、内容は今の時代なら“暴論か?正論か?”と問われそうだが、日本男子なら当然「正論」だし、日本女子なら「暴論」だということになろうか。
年代にもよると思うが、戦後教育の影響を受けている若い世代なら、迷うかもしれない。
しかし、日本人本来の遺伝子を色濃く残している男性なら、中の話はいずれも「正論」だと分かると思う。(だが、今の教育だけしか頭に無ければ、無理かも)

この著者の破天荒ともいえる行動には、驚嘆・仰天するが、でも、根っ子がしっかりしているから、どの話も納得出来る。
ノーベル平和賞」などという至って恣意的な賞の向こうを張って「高須平和賞」なるものを出しているそうだし、また、海外に出てしまっていた『昭和天皇独白録』を3千万円を使って、オークションで落札して、宮内庁に寄贈した話などは、つい、拍手をしたくなった!

AIの話」の方は、やはり、“作る側”ではなく、“使う側の話”だから、あまり参考にはならなかったが、どのお話も面白かったので、随分得をした気分だ。(笑)



『消費税のカラクリ』  「三月一日」

『消費税のカラクリ 斉藤 貴男著 講談社現代新書 2011年5月 6刷 ¥720+税』 (購入 ¥108税込み)

ネットで、色々な経済学者や経済評論家の意見を拝聴していると、「消費税&増税」ほど日本の経済や成長産業を損なうものは無いと言われている。
この本でも、「消費税」が、どんな形で徴収され、国庫をどれだけ潤すか、どんなに損なうかが分析されていて、それは“日本では最悪な方法”だと結論されている。

「消費税&増税」の一番の被害者は、日本国内の(一人親方などの)中小企業者であり、他方、“一般消費者”や“大手企業”は、あまり痛痒を感じないもののようだ。
だから、私達一般人は、何となく「消費税増税」も、“ま、仕方ないか!”となっているようだが、実は、重大な事柄については何も知らないから、気楽なもんだ。

だが、「定期的で強制的な徴収」を余儀なくされる中小企業者層は、本当の“酷税”になり、事業の資金繰りも悪くなり過剰な債務負担の為に、自殺者が増えるという。それに、“いい仕事”も出来なくなるらしい。

財務省は、“間接税は、徴税率が良い(はず)だ!”とか、社会保障の充実に必要だ!”とかいった説明の仕方で、「消費税増税」を進めているらしいが、現実の「国税滞納額」はワーストワンだそうだし、未だ徴収中の“震災復興税”だって、もう「目的税」ではなくなってしまっていることから分かるように、どんな税金も“目的の曖昧なドンブリ勘定”でしか扱われなくなることは目に見えている。

この本で紹介されている、「仙台七夕」での川柳に、こんな作品があった。
 +消費税 義務という名の 不明金
 +消費税 大企業には 笑止税
 +税、税と 求めてばかり 馬鹿議員

もし、消費税10%によって、「アベノミクス」が腰折れ状態になり、更に自殺者が増えるなら、「再度の増税先送り」か、「増税取り止め」を指示出来ない安倍首相の責任は重いといえよう。


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