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物事追及集 二千十六年四月版


世界が愛した日本2  「四月三十日」
『世界が愛した日本2 四条 たか子著、井沢 元彦監修 竹書房 2011年6月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

この本で採録されている日本人や日本は、五人と一か所、それに在米日本人。
 +台湾に烏山頭ダム(八田ダム)を建設した故八田與一氏。
 +ギニアの国土基本図を作り上げた故本島健三氏。
 +パンジャープ地域にユーカリ樹の植林した故杉山龍丸氏。
 +戦闘終了後、被弾・沈没した敵艦船の兵士達を救助した故工藤俊作氏。
 +日露戦争で捕虜になった露国兵士が望んだ「松山俘虜収容所」
 +和蘭の国葬で送られた故安達峰一郎氏。
 +米国内で日本向け「ララ物資」支援を立ち上げた故浅野七之助氏。

私は、この内の八田與一氏を、本で読んで知っているだけで、他の方達は初めてだ。

戦争中の日本の将校達や兵士達の「日本武士」らしいフェアな振る舞いについては、色々な本で読んでいるが、この本の工藤少佐の話は記憶に無い。
きっと、戦争中には、この他にも多くの出来事や話(美談)があったのだろうと思う。

此処で挙げられた人達は、それぞれに能力も意欲も責任もあるから、それなりの(大きな?)仕事をされたのだろう。
一方、普通人の私などは、何が出来ただろうか?と考えたら、やはり、一兵卒(!)として懸命に協力していたに違いない。

その時でも、他人の為だ!などということは、あまり考えなかったのではないか。
多分、今と同様、「これは、自分の仕事だ!それが、ちゃんと完遂出来るか?」と自分を励ましながらやっていただろうと思う。



天祐なり(下)  「四月二十八日」
『天祐なり(下) 幸田 真音著 角川書店 平成25年9月 6刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

露国から日本の喉元に匕首を突き付けられ、日露戦争が回避出来そうにない情勢になった時、日本政府はその為の「費」をどうするかで、政府首脳達は皆、青くなって慌てていたそうだ。

何が何でもその「戦費」を作るために、公債(一種の巨額借金)を発行して充当しようとしたのだが、日本の誰もが国際市場での公債発行に不慣れな上に、日本公債の価値そのものが、英国ロンドン市場では、殆ど評価される時代ではなかったという。
下手をすれば、発行しても、二束三文にもならなかった状況だったらしい。

それが、故高橋是清翁の欧米人との個人的な繋がりや信用度や、欧米の露国に対する思惑などが味方して、無事に公債発行(≒巨額借金)が行えたという。(将に、天祐!)

そうした状況を読むと、戦いに必要な「戦費」は、当時の日本国にとっては、極めて重い負担だったことが良く分かる。
戦後、故吉田茂翁が、日本の再軍備に反対していたのも、表面的な言い訳は兎も角も、日本国の財布のことを考えると、とても「再軍備」など出来る状況ではなかっただろう。
今だって、日本の大赤字財政の現状を(真面目に)考えると、「戦費」の捻出など、まず不可能だ。精々出来て、「米国戦費の一部援助」位ではないか?

日本共産党などは、気易く(?)“安倍政権は「戦争」をするつもりだ!”とか、「安保法制」は「戦争法案」だとか、叫んでいるけれど、「戦争」をすることが「経済的」にどれほど大きな負担になるか?それを、誰がどうやって解消するのか?など、丸っ切り考えもしないし、考えられないようだ。(あほちゃいまんね、ぱーでんね!という類)

私達日本人も、もっと「お金の収支」や「損得勘定」に関して、賢く&強欲にならないといけないと思う。
それも、どちらが得か?損か?今必要か?将来必要か?などの「算定」や「評価」をしないといけない。それを、子供達にしっかり教えねば!

・・・ だが、残念ながら、(男性にはそれが出来ても、)女性にはそれが難しいらしい。
女性の(感情的な)要求は、「消費」には有効だが、収入を得るための「生産」や「創造」には役立たないから。
その為に、日本で女権(の要求)が強くなればなるほど、日本の財政赤字は膨らむばかりだ。
昔の(良妻賢母型の)日本女性は「慎み」を知っていたが、戦後の(米風化した)女性の台頭で、皆の税金を「無節操に、ばら撒くだけの風潮」が続いている。
その分かり易い例が、“自分を活かすために社会で(ゆるく!)働きたいから、子育てなど二の次だ!それが困るというなら、社会が保育所を作れ!”と声高に主張していることだ。
どちらも、日本社会にとって、収益が増える話ではない。逆に、収益は減り借金は増える一方だ。
・・・ で、その借金を、誰に清算させるつもりなのかな?
・・・ 私知らないわ!私の責任じゃないもの!ってか?
おまけに、それを懇ろに抑え、「収入増」に励むべき男性の中にも、(女性達の)消費癖に迎合する連中が増えて来ているのも困ったものだ。
私は、決して“女性蔑視主義者”ではないが、「社会的能力」以上に“自分達の権利”ばかりを主張するド厚かましい連中は嫌いだ!




天祐なり(上)  「四月二十六日」
『天祐なり(上) 幸田 真音著 角川書店 平成25年8月 5刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)

この本は、故高橋是清元大蔵大臣の生涯を描いたもので、昭和初期の大恐慌を赤字国債発行で乗り切ったことや、当時の社会情勢に不満を抱きテロリスト化した陸軍の軍人達の襲撃によって、丸腰にまま殺されてしまった結末までが、「国債」を中心に綴られている。

そういえば、この著者は、『日本国債』という本も出して居られる。(確か、私も読んだはずなんだが、 ・・・ 記憶はあっても記録が無い)

日本の赤字国債の話もさることながら、故高橋是清翁のように、日本人皆の為に、粉骨砕身して下さった方達・政治家達に対する暗殺などの暴力沙汰は、何時の世であろうと否定すべきことだ。
ただ、日本の社会にとって迷惑な政治家は、出来れば日本社会として早めに排除したいものだ。
鳩山由紀夫氏や菅直人氏などは、その口だが、「元首相・大臣の資格剥奪をする」という案は、(姑息な暗殺などよりも、)文化的で良いと思うが、どうだろう?

他方、国民皆にベタベタと愛想よくしたがるような連中も、極力避けたいものだ!それは、実は文化人や官僚・官吏達の仕事だからで、政治家の仕事ではない!

私達庶民・市民・国民が、今の政治家達に望むことは、将来の日本像を描くこと、具体的には、遠目で見た子供達や孫達の将来の生活を考えた長期的教育・経済・文化施策を、果敢に打出して貰うことだ!

実は、そうした「政治」に期待していることがある。
その施策の中で、昨今のように、行き過ぎた私権拡大や行き過ぎた個人優遇は、日本のような公共性や公益性を大切にして来た社会・国では、有害だ!有害と看做す!ということを、皆の秘かな想いでなく、はっきりと明文化すべきだと思う。
それは、「街中の保育所設置拒否」や「水の足りない地域でのペットへの給水」や「(在日)貧困外国人への優遇」などへの“不満の高まり”などからも分かるし、「公益優先」や「公共性重視」として憲法や法律で「人権」より上位に位置付け、明確に規定すべきことだ。




自ら国を潰すのか  「四月二十四日」
『自ら国を潰すのか 小室 直樹、渡部 昇一共著 徳間書店 1993年7月 1刷 ¥1、000税込み』 (購入¥200税込み)

この本を読んでいると、私達日本人種は、ホントに“世間知らず”で、“お人好し”な人種だと思ってしまう。
私達日本人は、人種が違うと基本的な物の考え方がまったく違うのだという認識を、一応頭では知っていても、実は身体では知っていないらしい。
また、面倒だから、知ろうという努力もしない。その結果、妙な、間違った考え方を持ったまま来てしまっているのが現状。
例えば、国連(国際連合)というのは「軍事同盟」であって、「戦う国連」が本質だそうだが、私達はお目出度くも、“世界平和を求める集合体”であるかのように思い込んでいるわけだ。

そして、日本国も、早く常任理事国になるべきだ!などと思っている。
だが、その国連が「軍事同盟」だとすれば、今の日本国は、うっかりでも|しっかりでも、常任理事国にはなれないのだ。
なるためには、きちんとした軍備を持たなければいけないし、今の日本の「自衛隊」が名実ともに「軍隊」にならなければ、その資格は無いわけだし、拒否権を持つ常任理事国から、相手にされないからだ。
(第一、シナ・中国やロシアが「日本の名実のある再軍備」を容認するわけがない。苦笑)

・・・ 私もそれは知らず、早く日本も常任理事国になるべきだ!と考えていたが、この話を伺って、流石に躊躇し始めた。
それは、きちんとした再軍備をするには、もう日本国の国家財政がもたないからだ。
(今の日本国は、ちょうど、貧乏侍が本物の刀が持てず、懐剣を抱いているようなものだ)

国連での(望めもしない)発言力を増すだけの為に、そんなバカみたいな「金遣い」や「態勢作り」は避けるべきだと思う。
どうせ、常任理事国になったとて、今の日本の(へなちょこ)外務省や(安倍首相頼みの)外交力では、今まで以上に国連内で発言力が増すわけでもない。(余分な負担が増えるだけで、ちっとも得にはならないってこと)
だから、日本国は、絶対、常任理事国などにはなるな!ってことだ。

それよりいっそ、国連を脱退してはどうか?って思う。今以上に“損や無駄”をするとは思えないから。(まぁ、米国辺りから、脅迫はされるかもしれないが)



Webカラーコーディネート  「四月二十二日」
『Webカラーコーディネート 南雲 治嘉著 グラフィック社 2002年6月 1刷 ¥1、500税込み』 (購入¥200税込み)

面白そうだったので、この本を買った。(図1)
Webサイトのデザインの参考にするためのものだそうだが、3色から5色の組み合わせに、様々な「形容詞」(例えば、“エレガントな”、“酸っぱい”、“素朴な”などなど)を付してある処が、何気に面白そうなのだ。(図2<クリック>

頁を捲って行くと、「ほう、なるほど!」というのやら、「えーウッソー!」とか、「これはちょっと無理だなぁ!」とか、著者とは違った私なりの感想が出て来る。

この本で、Web上での制約、216色のセーフカラーというのがあるというのを、初めて知ったのだが、更に、現実には100色程度しか使えないそうだ。(なるほど、そうかも!)

尤も、これは「人造パターン」に関してであって、「自然の風物・風景」などでは、近接色があっても色数は多ければ多い方が、より美しく見えるのではないかと思うがどうだろ?
「WEBサイト、十人十色というけれど、一億人でも百色か?」



新天皇論  「四月二十日」
『新天皇論 小林 よしのり著 小学館 2010年12月 1刷 ¥1、700税込み』 (購入¥200税込み)

この著者の絶叫調が面白くて、以前にも幾冊か読ませて頂いている。
良く調べて居られるので、私の知らない事実も沢山あって、度々感心させられるのだが、今回のこれは、其処此処で綻びが目立つ。

著者は、女系天皇の容認論者らしいが、それを過去の事例から無理やりこじ付けて、それ(女系もあり)に決めてしまわないといけないかのような話には、ちょっと無理がある。

大体、「天皇陛下のお考えを勝手に忖度してはいけない!」ってことを、小沢一郎氏が、シナ・中国の習近平氏を参内・拝謁させた話を引き合いに出して、非難しているが、それなのに小林氏も、この本では、同じように忖度しようとしているではないのかな?(苦笑)

天皇陛下自らが、「女系」でも構わないと仰っていると?
だが、日本国を平らかにすることが先決であって、“ああしなさい、こうしなさい!と仰っていると、ご意向を推察し、忖度すること自体が、悪いパターンだし、昔の軍部と同じやり方になる。

むしろ、天皇陛下がご心痛になって居られる自体を重く見て、私達臣下が慮って、無理に筋を通すのではなくて、総意だということにして適当な解決策を出すことの方が、先だ!
私は、本来は「男系」で通すべきだと思う。だが、継承が困難な時には、順位は臨機応変に!だ。

昔のように、外国産の遺伝子が、それ程多く混在していなかった時代なら、「女系」が混じっても問題は無かったと思う。
だが、今は、「女系」を入れ込むと、(異文化の形成者である)外国産遺伝子の混じり込む危険性が排除出来なくなるから、もし「女系」を入れる場合、秘かに、DNA検査と日本人種(和人)遺伝子の確認をさせて頂くすべきだと思う。・・・ただ、それを、明文化出来るか否かは課題かな?

昔の「女性天皇」は、平穏で安定な時代には、問題は少なかったようだが、自然災害や動乱があった時代などには、国民としては、むしろ、お断りした方が良かったはず。

この本には、「Y染色体」の話も出て来るが、むきになってそれを否定するべきではない!
「日本国土に土着したY染色体群」が、この土地、この環境で長年、生活や文化や、この国なりの平和を維持して来た功績は認めるべきだ。

これが、「Y染色体欠落体」だと、「グローバリズム」が重要だと云われれば、「はい、そうですか!」と異種文化でも異種生活様態でも何でも、抵抗無く受け入れるに違いない。
その代わり、古来の日本文化維持にも、無関心なままだろうし、異種文化同志の摩擦軋轢にも打つ手を持たないだろう。

そして、天皇皇室の権威などは、「外野」から謂われるまま、あちらにフラリこちらにフラリと揺らぎ続けることだろう。
果ては、何時まででも“あーでもないこーでもない!”と、所謂、民主主義的な討論をやるばかり。(嘲笑)
つまり、「Y染色体」の筆頭臣下(日本国首相)が「こうだと、ワシが決めた!」と決断・実行をしなくなる|出来なくなるってことだ。馬鹿々々しいことだが、現にそうなってしまっている。



スイス吟行  「四月十八日」
『スイス吟行 旅券は俳句 江国 滋著 新潮社 1993年12月 1刷 ¥1、400税込み』 (購入¥200税込み)

この本は、(今流行りの?)癒される部類の“愉しい読み物”だ!
尤も、“安っぽい芸人風のお笑い”ではなくて、“スマート&ユーモラスに昇華された話”ではある。
所々で、ちょっとクスリ♪と笑わされるし、鷹羽氏という俳諧の重鎮と、屈託ないお二人のスイス見物&俳句吟行の情景を想像しながら、こんな大人同士の旅もあるのだなぁと、面白く感じられた。
師匠の松尾芭蕉に随行する曾良役のつもりで・・・と著者は書いておられるが、そうした心の持ち方が、良いのかもしれない。

「吟行」といえば、私も時々、五・七・五調(または五・七・七)で書きたくなることがある、と言っても俳句そのものが好きなわけではない。
ただ、リズミカルに、あの狭い語句の中に“想いや情景”をスマートに一杯詰め込むってのは、なかなか面白いことだと思う。

これは、日本の「四季があり草木のある福よかな風土」を身をもって知っている、日本人ならではの特質・特性ではないかと思っている。
だから、俳句では、兎に角「季語」なんてのを織り込むことを強要されるもんな。(笑)

でも、外国で作る俳句には、季を偽ることも、その土地・その時でなら必要だって!
スイスでは、九月なのに、情景を「・・・春うらら」と読みたくなる場所もあるってことらしい。(笑)

この著者の本は、以前にも読ませて頂いたことがあるが、他に幾冊が出されているので、探してみようと思っている。
(蛇足だが、江国 香織という作家も気になっていたのだが、この著者の娘さんだとか)



脱原発の是非を問う!(再)  「四月十六日」
『脱原発の是非を問う! 森谷 正規著 エネルギーフォーラム 平成24年6月 1刷 ¥1、200+税』 (購入¥108税込み)

この本を読んで感じたのは、非科学的な迷信でしか物事を考えない一般大衆(特に女性達)やそうした人達に寄り添って(?)一緒になって騒ぐ、野党連中や一部のマスコミ連中に向かって、“もっと物事を科学的に考えなさいと”、真面目に必死で訴えるという(無駄な?)努力をされているように見える。

皮肉な見方だが、実際、噂に付和雷同型の日本人が多いことや、自分なりに科学的に考えたり勉強してそれを言動や行動にしない人達が多いし、益々そんな人達が増えているのが、今の現実だからだ。
そうした大きな流れ(?)を、堰き止めたり、流れを変えたりするのは、たいへん難しい!

しかし、反面、私達日本国民のこうした「(恐怖心から来る )安全要求への静かな流れ」は、もしかしたら私達日本人の無意識的・本能的な“歩み”のようなもので、最早留めることは出来ないのかもしれない。
その根源にあるのは、私達日本人がもう充分豊かになったために、(リスクを冒してまで)これ以上豊かになる必要は無いという、「無意識的反応」ではないか?
一見、“怠慢”や“ずぼら”のようにも見えるのだが、実はもう、何も無理なことはせず、リスクの有る利益などは避けて、もっと「生活レベル」を下げて行こうよ!と“本能の囁き声”なのかもしれない。 ・・・ だから、この先の「デフレ」にも、無意識に耐えるかも?

仕事で残業などは抑えられ、休日や有休休暇などもやたら増え、働く量や質を減らし続け収入を減らし、皆が貧乏になることを厭わなくなって来ていることなどは、その一端だろう。

また、少子化は気になるけど、子供を産めと言われるのは嫌だ!とか、自分が社会へ出たいから、子供が邪魔!「子育て」させたいなら、子供達全員を預けられるような保育施設を用意せよ!とかいう我侭要求が増え、それが通っているのも、「日本社会のレベル」を落とすことになっているわけだ。



三国志読本  「四月十四日」
『三国志読本 宮城谷 昌光著 文藝春秋 2014年5月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)

これは、普通の小説とは違って、この著者の小説への取り組み方、登場人物の描き方についての話や、また色々な人達との対談集などを纏めたもので、中身が大変に濃いものだ。
私の駄文で、あっさり纏めてしまえるようなものではない。

この本で、のっけから驚いたことは、私達が慣れ親しんで来た(?)“三国志時代”には、実はもう、曹操袁紹孫堅などは出て来ないのだそうな!

彼らが実際に活躍していたのは、その前の時代・後漢時代であり、世に流布している“三国志物語”の殆どは、『三国志演義』という小説をもとにしたもので、しかも、時代の主流ではなかった劉備とその仲間の話で、殆どが作り話だそうだ。
だが、正史の「三国志」の方は、実は、それとは随分違っているらしい。
そして、この著者の「三国志」は、その正史(=史実)に沿って書かれたという。

これまでに、この著者の著作は殆ど読んだつもりになっていたが、実は、「風は山河より」とその「三国志」は、まだだ。
きっと、興味深く読めるだろう、それらを、ぜひ読んでみなければ!と思った。



バカの国  「四月十二日」
『バカの国 KAZUYA著 アイバス出版 2014年3月 2刷 ¥1、200+税』 (購入¥200税込み)

この本を読んで、つい「(年齢ではない)個々人の能力差」ということを、改めて感じてしまった!
若い人なのに、ここまで今の世の中を知り、国を知り、個人の修身や国家の大切さを学ばれているとは!
それに引きかえ、私などは、今の老境に至ってやっと、そうした(日本の)社会現象を学んだ|学べたというのに!

こうした優れた人達の居る一方で、SEALDsみたいな阿呆連中も居て、日本人のレベルも程々のガウス分布図(!)が描けるのかも、と思ったり。
皆が(険しい山の如く)賢くなり過ぎたら、果たして私達の日本国はどうなっているだろう?などと空想してみるのも面白い。
お互いに「愚痴るネタ」が無くて、困ってしまう恐れもあるのではないか?(笑)
・・・ということは、「ほどほどの、かしこさ是なり、おらが国」なのかも。

(自然の原理である)「エントロピー増大則」で考えるなら、尖った高い山も、いずれは時間が経つにつれて崩れて行き、後にはなだらかな丘が残るのみ・・・ということではないかな。(苦笑)



エネルギーと原発の...  「四月八日」
『エネルギーと原発のウソをすべて話そう 武田 邦彦著 産経新聞出版 平成23年6月 2刷 ¥1、200+税』 (購入¥200税込み)

この著者は、まっとうな科学者・研究者で、真の意味で「社会的良識派」だと思う。

科学者・研究者として、「自然(現象)」は科学的には「未知ばかりの領域」だってことを良くご存じだし、それを出来るだけ丁寧に端折ることなく説明されようとしていることだ。

私達日本の一般人は、多くのことについて、出来るだけ「結論」だけを、しかもイエスかノーで決めてしまいたいという悪い癖がある。
例えば、「原子力」とか「放射能」といえば、兎に角、何でも、どれだけでも、危険だ!怖い!となる。
実は、そうではないのですよ!そんな常識なんてウソですよ!勿論、危険の有ることは間違いのないことですがね!と、様々な面から解説をされているわけだ。

「自然」は何処まで行っても未知だし、当然危険も含んでいるのだが、それを人間は、自分達に具合の良い程度にまで薄めて利用することを学んで来ているのだ。
だから、「危険が皆無だ」ってのはウソだし、「危険極まりない」ってのもウソだってことだ。

知識が無いこと(や知恵を出さないこと)が、ウソを平気で信じる(ウソを常識にしてしまう元凶になっていると思う。やはり、せっせと知識を集める(それを生きる知恵に変える)努力をすべきだろうな。



天才  「四月八日」
『天才 石原 慎太郎著 幻冬舎 2016年4月 8刷 ¥1、400+税』 (購入¥1、512税込み)

家人も“読みたい!”というので、久々に書店で“平積みの新本”を買ってみた。
自伝形式だから、流石にご自分(田中氏、石原氏両者)に不都合な話は、書いてないか、書いてもさらりと流してある。
むしろ、政治家としての面から何を為したか、それをどのように為したかが、良く分かった。

人物として、故田中角栄氏を紹介したものは、以前読んだことがあるが、「政治家としての評価」が十分でなかったので、どうも食い足りない感じが残っていた。

私達は、人物を全人的に見たがるし、殊更悪い面だけを取り上げて「社会的評価」をする悪癖があるが、実は、私はそれは拙いことだ!と思っている。
社会的評価=仕事や任務の成果」と「人柄や人格」とは別物扱いにしないと、「善い人物」(?)に「優れた仕事や成果」を期待していると、当てが外れることが多いからだ。

だけど、政治家は、得てして外国の謀略に引っ掛かり易いものだってことが、この本でも良く分かる。
ご本人は、まるっきりそうしたことに気が付いていなかった|舐めてかかっていたらしいから、油断大敵だ!
先般のTPP交渉に尽くして下さった甘利氏も、恐らくその口ではないかと、心配しているのだが。

また、「日本の司法」も、存外に間抜け達が多いことにも腹が立った。
「日本人皆の国益・公益とは何か?」、「日本人の正義とは何か?」が、まるっきり分かっていないらしいからだ。
「日本国の法律や憲法」の番人である為には、まず「日本人皆の利益の番人である」という意識を持ってもらいたいものだと思う。
“他国や世界の正義”ってのも、私達日本人のそれとは違う事もあるんだってことも。



世界は深淵を・・・  「四月六日」
『世界は深淵をのぞきこみ、日本は屹立する 増田 悦佐著 東洋経済新報社 2012年5月 1刷 ¥1、800+税』 (購入¥200税込み)

日本の今後を予測することは容易ではないが、何とか明るい未来を想像したいと思い続けている。
この本も、その一端を探るために読んでいるのだが、「日本」が、「世界」などはお手本にせず、今まで日本がやって来た日本独自のやり方をちゃんと見直せば、立派な国際スタンダードになり得るらしいことが、この本から読み取れる。

だが、そうした「(良さ=優れた特性を内蔵した)以前の日本」に戻せるかどうかは、今となっては非常に怪しいのが、現状だ。

というのも、現在の日本社会が、砂山が崩れるがごとくに崩れ、屹立する部分が減って来ているからだ。
崩れた後には、(所々にオアシスがあるとしても、)広漠とした砂漠しか残らないだろうと思う。
具体例で言えば、リスクを擁して屹立するのは「原発利用」だが、それを停止して、代わりに、太陽エネルギーの残り滓である再生エネルギー利用などという「砂粒拾い=落穂拾い」で間に合わせようという愚かな発想だ。
勿論、日本国民全体の生活レベルをぐっと下げる気があるなら、それも良しとすべきだろう。(それは、仙人生活だが!)
例えば、皆が自給自足の田舎暮らしが出来て、意欲的にそうするならばの(結構毛だらけな)話だ!

だが、それ(原発廃止)を要求している連中(市民団体、政治家達、裁判官達、マスコミの一部)の姿を見ていると、まるっきりそんな気は無いようだ。
自分達は、安全でぬくぬくとした生活をしたいが、他人には「効率が悪くて高く付く再生エネルギー」を使わせようという魂胆らしいからだ。

この本は、そうした矛盾を皮肉っている点では面白いのだが、さて、私達自身が改善のための何かの手立てを探し出せるか否かについては、残念ながら、あまりヒントは無い。
結局は、(歯痒いが)「成り行き任せ」にしかならんのだろうな。



華栄の丘  「四月四日」
『華栄の丘 宮城谷 昌光著 文藝春秋 平成12年2月 1刷 ¥1、429+税』 (購入¥200税込み)

この本を、店の棚で見掛けた時、以前読んだような記憶が微かにしたのだが、多分、もう中身は殆ど忘れているだろう!と期待して買って来た。

調べてみると案の定、3年前に文庫本で読んだみたい。でも、今回も愉しく読めた♪
やはり、この作者の小説は何時読んでも、充実感がある!

しかし、先回もその時の「世情」で“肥満についての愚痴”を書いたが、今回も身震いが出るほどの嫌悪感を感じていることを書いておきたい。

なんでも、“ぶよぶよ!(ぽっちゃり?)系の裸芸人が、裸のままで舞台に上がって来て“芸ならぬ裸踊り”をしているそうだが。
近頃では、こんなのが(若い女性達?に)人気がある?らしいが、観客もプロデュサーも、趣味が悪く安っぽくなったものだ。

尤も、日本(特に関西)では、「芸人」は、一般大衆に“優越感・満足感”を感じさせるために、大衆よりも(知能や風采のレベルを)低くするのが原則らしいが。
でも、大衆も、自分がそんな極低レベル近くでしか、芸人に“優越感”を感じないのだと気が付いたら、むしろ、それは、“劣等感”に転じる|変じるのではないのかな?

まぁ、そんな話より、この小説の主人公−華元は、右師(五卿の筆頭)になってからも、「厭戦思想」を捨てなかったという話は、注目に値する。
常に、戦わずに勝ちを得る方策を取り、たとえ争いに巻き込まれる場合でも、先に勝ちを取りに行かず、負けることによって真の勝ちを、長期の勝ちを得ようとする「精神のしくみ」を待っていたという。
ただ、その為に、情報収集を怠らず、知恵や勇気を持って処したという点で、今の(愚かな)「日本国憲法」の第二章第九条の信奉話とは大いに異なるわけだ。

華元の狙い=目的は「不戦=平和」であるが、その為に(戦いも含めて)あらゆる手段・方策を尽くそうとするわけで、彼なら、“戦争を放棄する”ってな文言だけで「不戦」が実現出来るなどと思うのは、愚かな自惚れだ!と笑うだろうな。



独走する日本  「四月二日」
『独走する日本 日下 公人著 PHP研究所 2007年11月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)

この筆者の著作は、是非多くの若い人達にも読んで貰いたいものだ。(特に、あの阿呆デモ集団SEALDs連中にもだ。笑)

私などは、私達の日本国とその将来を、かなり悲観的に見ているのだが、この筆者の“日本分析”では、もっと良い見方が出来るよ!と仰っているので、改めて、「そうかもしれないなぁ!」と、見方も少し変わって、少し救われた気持ちになる。

そうして日本国の良い点が見えて来ると、私達の何処を更に改善・改良すれば良いかが、考え易くなる気がする。

例えば、日本人の宗教観は、外国では通用しないという。反って、気味悪がられたり、嫌悪されるのがオチだそうな。今は、(日本のアニメを好む)若い層も増えて、昔ほどでもないようだが。
しかし、米国大統領候補トランプ氏に対する爆発人気のように、心の底に潜んでいるモノは、なかなか無くなりはしないものだ。

では、日本には、そうしたもの(宗教的なもの)が無いかというと、そうでもない。例えば、「自然神への信仰」のように、分散した希薄な形で残して来ていることは、皆が知っている。
(この著者が、笑いながら、書いて居られるのは、正月や七五三には神社へ、(十日には戎さんへ、お産の前には帯解寺へ、)クリスマスや結婚式には教会へ、法事や死んだらお寺へ、とまぁ、その時々で利用出来るなら、どんな形にでも出来るってことだ)

ただ、私達日本人のような草食人種は、肉食人種のように執着心が強くないから、
宗教というものを徹底的に研究し、集中化し、実用化して来なかったきらいはある。
(例えば、教会を新築したり、毎日曜日に礼拝に行く習慣がそれ!・・・ 他方、日本ではもう社寺を新築することも無いはず・・・いや、新興宗教は多少それをやっているらしいが。苦笑)

この本から、私は「日本人の宗教観・哲学観」というか「精神」とか「」というものを、もっと研究し、その「内容」や「今後の有るべき形」を内外に普及させるべきだと仰っているように受け取った。

蛇足だが、面白い話を紹介されている。
人が高み(山)に昇れば「仙人」になり、谷底に居れば「俗人」のままだと。(笑)


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