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導育甘言集 二千十六年二月版



脳細胞は甦る  「二月二十八日」
『脳細胞は甦る 三石 巌著 クレスト社 平成8年1月 4刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)

期待して読み始めたのだが、焦点が段々ボケて来て、おしまいには話が発散してしまった!
こりゃ、私には役に立たない本だ!

通常は、話のポイントが幾つかあって、それに向かって傍証が積み重ねられて行って、次第にそのポイントの「素性」などが浮き彫りになり“納得!”となるはずなのだが、この本は逆で、発散形だ。
例えば、脳にはビタミンCが必要だ!から始まって、多量に摂取する医者の話が出て来るのだが、(著者と同年の)その医者は、結局はガンで先に亡くなったり、それは、ビタミンCの採り過ぎらしいという話になり発散してしまう。
じゃあ、ビタミンCの正しい採り方はどうなのか?と思って読むと、その後は、別の話題に話が移ったりして、なんだかワケワカメ!(苦笑)
どれもこれも、“小分けの事象・現象”の話ばかりが豊富にちりばめられているのだが、何処にも、どのポイントにも収斂して行かない。

一応、“大変に博学だなぁ!”と感心はさせられても、では、この著者は一体何が言いたいのか?というと・・・そこんところが、良く分からない!
多分、私の脳が、ビタミンC不足なんだろうと、それを補ってみたが、一向に理解は進まず。(笑)
この本は、盛り沢山の話のどれも細切れのバラエティ風で、私の“脳みその整理”には役立たなかった。



「勝負哲学」  「二月二十六日」
『「勝負哲学」 桜井 章一著 三笠書房 2004年10月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)

この本は、「哲学」というより「精神論」といった方が良いのではないか?!
それにしても、読んでいてビンビン感じるし、共感する処も多い!
普通のノウハウ本や解説本なら、時代を経るにしたがって、古びてしまうものだが、この本は違うようだ。
やはり、人間の「精神の本質」に近い処からの見方だから、ではないかと思う。
 +変化に対して敏感になれ
 +常に「修正力」が必要だ
 +自分の意思で物事を決めよ
 +自立すれば、他人にも目を向けられる
(これらは、今の日本の若い人達皆に、しっかり学ばせたいものだ)

この著者は、麻雀勝負で過去20年間負け無しで、遂には「雀鬼」と呼ばれていた|いるそうだ。
現在は、「雀鬼会」という道場で、後進の指導をされて居られるそうだが、麻雀のそれではなく、「精神修養の場だ」としているという。
一種の“教育塾の塾長”といった風情だが、日本にもこうした方達が、もっと多く居られればいいのだが。(無いものねだりかな?)



もっとへんな駅!?  「二月二十四日」
『もっとへんな駅!? 所澤 秀樹著 山海堂 1998年9月 2刷 \1,400税込み』 (購入\200税込み)

この本は、「列島縦断へんな駅!?」の姉妹編だそうだが、1冊では全部を紹介し切れなかったわけだ。(笑)
それにしても、地方には、色々な駅があるものだ!
大都市近郊では、移動人口が多いから、利便性を損なうような余り珍奇なものは流行らない・好まれないのだろうが、やはり地方では、駅興し・町興しのためもあったりして、様々な工夫を凝らしているようだ。

他方、成り行き上致し方なかったのだろうが、神社の境内の中を横断するような線路や駅があったり、ホームが極端に長い駅や、カーブがきつ過ぎてホームとの間隙が広いせいで車両のドアが開けられない駅など「困った駅」も結構あるそうだ。
まぁ、そうした“へん”さを残して居るのが“地方の駅”の特性なのかも。

単なる言葉遊びだが、駅名に「大正」、「昭和」、「平成」は、あるが、「明治」(単独)の駅名は無いそうだ。
「明治神宮」ってのは聞いたことがあるが、やはりそれだけらしい。

そこで、ふと、思ったのだが、「平成」の次は何にするんだろ?
何か、「覚醒」とか「跳躍」てな年号は画数も多いから、あり得ないかな?(笑)



知らぬは日本人ばかりなり  「二月二十二日」
『知らぬは日本人ばかりなり 八木 大介/企業OBペンクラブ著 マネジメント社 1991年9月 3刷 \1,200税込み』 (購入\200税込み)

この本は、十人の著者達の外国人との比較で日本人を見た感想文・忠告文のようなものだ。
なるほど!当たっているかも!と思うような話もあれば、余計なお世話だ!というのもある。

例えば、『人の不幸を喜ぶ』とあるが、表づらは同情しているように見えても、結構、ゴシップなどが“派手なニュース”になるのは、昔も今も変わらないようだ。

しかし、『日本人にノーベル賞受賞者が少ないのはナゼか』と、よりによって韓国の大学教授が疑問を呈していたという話には、ついウッソー!と叫んでしまったが、まぁ、この本の書かれたのが1991年だから、時代の推移・変化だろうな。(笑)

まぁ、内容は総じて、欧米人の生活習慣と比べて、日本人のそれが随分と離れているから、出来れば欧米式に合わせなさいよ!とのアドバイスが多い。

だけど、昨今、日本への観光客がうなぎ上りに増えていることを考えると、無理に欧米式に合わせる必要はない!
出来るだけ摺り合わせをしながら、日本式を受け入れさせる|受け入れてもらうのが、お互いの為ではないかな?

ただ、日本人の多くは「お人好し」だから、相手に騙されたり、誤魔化されたり、脅されたりしないように、注意深く対応しなければ、最後は損をするだけだ!っていう忠告は、素直に聞くべきだろうな。



プーチンのエネルギー戦略  「二月二十日」
『プーチンのエネルギー戦略 木村 汎著 北星堂 2008年1月 1刷 \1,900+税』 (購入\108税込み)

この本の前半は、小泉政権時代のロシア・プーチン政権下での外資系(ロイヤル・ダッチ・シェル51%、三井物産12・5%、三菱商事10%)の「サハリン2(石油・天然ガス開発事業)」などの“ロシア(再)国有化”に関する(優れた)“論文”だ。(引用原典も豊富で、情報の信頼性も高そう!)

この著者は、プーチン政権が“エネルギーの再国有化”を重視し、強力に推進した理由は、次の3点だと指摘している。
 *経済的な利益の源泉
 *強力な政治的手段
 *外交政策の支援手段
そして、プーチン政権は、それらの2つとも巧みに手に入れたという。
最後の一つは、現在も進行形のようだ。

私達日本国民にとって、あまり嬉しくもない話だが、プーチン政権が「サハリン1、2」の石油・ガス資源をシナ・中国に売るか、日本に売るかを決めかねていた時期に、小泉政権が、(領土問題を絡めたつもりで)盛んに(相当甘い)好条件を提示しながら、ロシアにすり寄っていたという話が記述(暴露)されている。
どうも、私達日本人は、こんな「外交案件」に関しても“お人好し人種=外交ベタ”のパターンから抜け出せないらしい。

だが、問題は、「サハリン2」の“ロシア国有化”の際に、撤退させられた三井物産三菱商事の被った損害などは、“日本国の財産の毀損”として激しく抗議すべき案件なのに、日本国政府は、他人事みたいに、“なぁなぁ、まぁまぁ”で、済ましてしまっているってことだ。
こんなことでは、日本は幾ら外貨を稼いでも=商社マン達が必死に稼いでくれていても、私達日本人は、(国庫に借金を積み上げながら、)何時まで経っても豊かにならないわけだ!

これは、日本の政治家達(国会議員達)が外交問題に弱いことに加えて、外務官僚達の“腑抜けさ”の問題でもあるのだろう。
それは、佐藤 慶氏の著書(『外務省に告ぐ』)などからもよく分かるが、“仕事の難しさ”にかこつけて、やるべき任務・仕事をサボっているのが実態らしい。
まぁ、成果を出すように政治家(政府)に働きかけても、政治家(政府)の方で反応が無いってことも多いらしいが。
・・・だが、それもこれも、私達日本人種見皆が、細かいことにはぎゃあぎゃあと口を出すが、肝心の大きな事柄には無関心・無頓着の悪癖が、“災い”しているのではないかな?



・こうして奴隷になった 追加  「二月十八日」
『日本人はこうして奴隷になった 林 秀彦著 成甲書房』 (承前)

この著者の様々な指摘を、自分自身の不測の反省も込めて読み進めていたが、終り頃になって、こうした批判・非難がすべて(肉食系)欧米人と対等になろう|なるべきだという意地から発しているのではないかと疑いを持った。
それが例え、この著者の“意地”であるとしても、私達(菜食系)日本人種としては、真っ先に(肉食系)欧米人種に食われてしまわないために身に付けるべき(貴重な)「護身術」なのだろうという気もした。

この著者は、やがては(シナ系)モンゴロイドが(ロシア系)コーカシアンに勝って、世界はその支配下に入るだろうとの見込みを挙げて居られるから、そうなると「対モンゴロイドへの護身術の伝授書」かもしれないな!と思ったり。(苦笑)

“歴史は繰り返す”というから、シナ系モンゴロイドが世界征服を果たしても、そんな“大華商帝国”もやがて、またばらばらにならざるを得ないのではないかな。となると、日本人種は、戦後米国の隷属下で巧みに生き延びて来たように、“大華商帝国”の隷属下でもちゃんと自己を保持しながら(日本式に)生き延びることだってやる|やれるのではないかと思う。(笑)

結局の処、将来へ向かう途中の過渡期で、どれだけ日本人種(の子孫達)が苦労するか?の話かもしれない。
となると、そうした時期に、(日本人種の)誰が、何を、残して行くかを問題にすれば良いわけだが。
私は、最低限日本人種のDNAさえ、最後の1組か2組として残してくれれば、その他は、良しとしなければならないと考えているのだが、果たして?(ノアの箱舟風?苦笑)

..ま、あまり先の先まで想像しても、一円の得にもならないようだから、もっと現実的な問題を真剣に考えておこう!



・こうして奴隷になった  「二月十六日」
『日本人はこうして奴隷になった 林 秀彦著 成甲書房 2008年3月 1刷 \1,800+税』 (購入\200税込み)

この本は、非論理的な言葉や比喩で書かれていて、それぞれが何を指しているか良く分からず混乱させられるが、決してちゃらけているものではなく、厳しくて、かつ何となく面白い♪と思ったので、読み進めてしまった。

著者は、「奴隷」という言葉を、どうやら“バカ”だとか“愚鈍”、“お人好し”などの比喩で使っているらしいのだが、こちらの読みが浅い為か、完全には掴み切れないもどかしさもある。

私達日本人種の欠点や問題点について、其処此処で比喩的に指摘されているが、どのように改善すれば良いかの示唆もあるので、大変参考になる。

また、珍語も豊富で、つい笑ってしまう事も。
例えば、「インチキゲンチャー」や「日本人総フンズマリ」、「天与の手抜き」、「殴打・衝突のオノマトペ」(ぽかぽか、ぴっしゃん、がちん)などの軽佻浮薄性とか。(あ、そいや!最近の、ガッツリやガチンコってのも、それかな?苦笑)

この本の中で、私が強烈な指摘だと感じたのは、「論アレルギーから一知半解病へ」の項。

『言語の機能は、思考性、伝達性、感動性、創造性、伝統性、倫理性の六つだが、この六つを総合した概念こそ哲学の本質なのである。今の日本語には、六つともない。故に、当然、哲学ゼロの社会なのだ。 あるのは別のひとつ。それも、たった一つ。即ち、またもや、鵜呑みである。日本のすべて、全部が翻訳輸入鵜呑み文化だ。翻訳鵜呑み概念。輸入鵜呑み論。 反論、異論は育たず、弁証法のように対立するものを総合・統一していくような「考えるプロセスの技術」はゼロの世界である。』

・・・ と(昨今の日本の)「鵜呑み文化」を痛烈に批判されている。
(これから、つい、先般の日本共産党の「戦争法案」という論痴看板を思い出してしまった。笑)

・・・ で、最後に、『人間としての日本人を探そう』という項で、これからの私達日本人種の模索すべき道=宗教的ではなく、知的・哲学的・現実的な方向=を示されている点で、これは大変有意義で面白い本である、と思った。



希望としての憲法  「二月十四日」
『希望としての憲法 小田中 聰樹著 花伝社 2004年10月 1刷 \1,800+税』 (購入\200税込み))

これまで多くの本を読んで来て、「日本国憲法」が、その序文からして、“受け身”で“他人任せ”の内容で始まっているのを知って、“こりゃいかんわ!もっと、主体的で現実味のある憲法にしなければ!”と思い続けている。

他方で、未だに護憲派の人達が、我を張っているので、彼らが考えていることは何か?を知っておかないと、上手く説得も出来ないだろうと、試しにこの本を買ってみた。

この本から分かるのは、「憲法」というものを“ロマンチックな詩文”か“願望文”と勘違いしていることだ。
つまり、“叶えたい希望”、あるいは“唱えれば叶うもの”として位置付けているのだ。

だから、殺し殺されるという「生臭い話」が入って来ると、途端に拒絶反応を起こして、「人の生きる権利≒人権を守る」だとか、「そんなことは憲法違反だ」とかいった文言で逃げてしまう。
要は、論理性が無くて、官僚風文章で玉虫色に物事を描くわけだ。
例えば、「有事立法」に関するこんな文章からも、それがよく分かる。

...そもそも日本国憲法は、有事について、つまり戦争発生については、対応規定をしておりません。これは、別に憲法がうっかりして規定をおかなかった、ということではありません。憲法九条の下で日本国は有事が起きないように全力を挙げて努力をする、国際的な真偽にのっとって国際協調を基本にしながら、有事にならないように全力をつくすということ、これが一つです。また、仮に有事になったときには、武力でこれに対処するという道をとらないことも、九条によって明らかにしてきたのであります。...

...「有事立法」は、例えば、民主主義的なシステムというものも一時停止・制限したり、あるいは国民の人権も停止・制限する−例えば、戦争のために、ある土地が必要となれば、強制的に収容する。あるいは、家なども強制的に収容する。もしも、それに抵抗すれば刑罰を科する。そういうしくみになっているのであります。...


傑作なのは、有事になった時にすら、「具体的な対処法」は何も無くて、只管“努力するだけ”で片付けていることだ。
で、それでは防ぎ切れない!となると、後は政府や誰それの責任だ!と逃げるわけだ。(苦笑)
そして、有事法案に対しても、やたら(気弱な人達に向けた)脅し文句の羅列で、真面目くさって“お化けが出るぞ〜!”と脅し捲るってわけだ。

この本の中の殆どの文章は、論理性や現実性に欠けるが、女性達やロマンチスト達には受ける物のようだ。
となると、護憲派に組する人達を説得するには、「論理的」や「現実的」な説明では通じないだろうから、(馬鹿々々しいことだが、)話をお伽噺風で、煽情的に作るなど様々な工夫が必要かも。(苦笑)



良い発想には毒がある  「二月十二日」
『良い発想には毒がある 塚田 茂著 NESCO 1990年6月 2刷 \350+税』 (購入\200税込み))

この著者は、(優れた)企画マン・プロデューサー・演出家だったそうだが、その職業技(わざ)に、豊かさと味わいが感じられる、大変面白い本だ。(そんじょそこいらにあるような、所謂“ノウハウ本”ではなかった!)

新しい企画、売れる企画は、常識から少し外れた箇所から、あるいは常識を裏返したものから、見付けねばならないという。
更に、良いものを生み出すには、練って練って、ぎりぎりまで練ることだそうだ。

「物事の企画」というテーマが主だが、その中には、行く先のイメージを描きながら(当たる|当てたい)企画・計画を構築して行くので、謂わば「未来予測」なども含まれているわけだ。
そして、この著者が予言したことがあって、それが今現実になっているように思えるものがある。
それは『今に家庭がミニテレビ局になる』という話で、当時は、「ビデオカメラ」が前提だったが、考えてみると、今では、デジカメやスマホ、パソコンなどで簡単に動画を作成出来て、それをインターネットを介して放映する仕組みが、それに当たるだろう。

YOU TUBEなどの素人動画劇場は、「ミニテレビ局」ではないが、皆が『自分達自身の情報発信源≒放送局』を持ったという点では、同じことだ! ・・・ 確かに、著者の予言は当たっている!(強引かな?笑)

また、時には「毒」も必要だ!という話もあって、タレントたちの個人芸・かくし芸を出させる『新春かくし芸大会』の演出の話。
(通常なら手抜きをする連中も居る)タレント達皆をやる気を出させるために、「競争原理」や「賞金制度」などの「毒」を織り込んでおいて、(上手く)ことを運ぶんだそうな。

やはり、何事も、これでもか!これでもか!と念入りに詰めて、「餌≒毒」を用意しておくことが必要らしい。



3つの原理  「二月十日」
『3つの原理 ローレンス・トーブ著 神田 昌典監訳 金子 宣子訳 ダイヤモンド社 2007年12月 1刷 \2,400+税』 (購入\200税込み))

この著者は、歴史学者であり、未来学者だそうだ。(はて?日本にはそんな学者は居たかな?)
著者によると、これまでの“世界の歴史”を上手く解釈したり、これからの“人類の行く末”を占うのに、「3つの原理」を使えば良い(十分?)なのだそうだ。

面白そうだ!と買って来て読み始めたのだが、その「3つの原理」の内、最後の一つの設定が、どうも恣意的過ぎて納得出来ず、途中で停まってしまった。

その3つとは、「年齢」、「性」、そして「カースト」だそうだ。
前の2つは、人間には動かし難く普遍性もあるはず(?)だから、一応は納得出来るのだが、「カースト」に至っては「中空(空中)の楼閣」のごときもので、人によって解釈もまちまちだろうし、そんな混乱するものを「原理」などに出来るわけがない!と思ってしまった。

むしろ、私が最近思い始めたのは、(気候・風土を含む)「土地」が、歴史解釈や未来予測の重大な因子ではないか?ということ。

土地」というものは、其処で生き延びられる特定の人種を産み育て、生活を維持させ、文化を育くませて来たわけだから、その「土地」抜きでは何も語れないはずだ!と思っている。
3つ目の原理が、もう少し地に着いた(!)ものであれば、この本を先まで読んだかもしれないが、途中で興味が失せてしまったので、あっさり閉じてしまった。



日本はこう激変する  「二月八日」
[緊急出版] 日本はこう激変する 長谷川 慶太郎著 徳間書店 2014年2月 1刷 \1,000+税』 (購入\200税込み))

以前から、「世界はこうなる...」、「日本はこうなる...」といった様々な預言書の類(?笑)は数多く読んで来たけど、それらのいずれもが当たっていなくて、空振りばかり。

まぁ、“当たらないのが、xx予想”ってのが世の習いなんだが、例えば、“シナ・中国は直ぐに破産する!”だとか、“xxxx年、北朝鮮の崩壊!”だとかが年限まで示してあるのに、全然当たっていないのは、結構お笑いだ。

実は、こうした予想は、当たらないのが当然ではないのかな?と、最近思い始めた。
どうも、そういった“警告めいた話”が出始めると、すわっ!と皆が身をすくめ、世の中(地球も含めて)の方も何気なく自己(?)を変化させるのではないかと。(これ、「我楽多苑仮説」!)
一方で、まったく予想もしていない時期や場所に、突然災厄が襲い掛かるっていうのも、お約束らしいのだ。
(ということは、常時危機管理体制・態勢が必要で重要だってことだ!)

そう思い始めた切っ掛けは、(夢の?)東南海地震だ。
大阪湾岸だって、東南海地震が来れば只では済まないはずなのに、知事時代の橋下氏が、府庁舎を湾岸地域に移すと検討を始めたことがあったし、今話題のシャープが、堺工場を平然と海岸近くに建設したりで、私達素人は話に聞くだけで肝を冷やしていたのだが。
(まだ起きない?もうすぐ?まぁ、起きるとしても、まだずっと先なのかな?)

というわけで、この本は、「今後、何と何が起きないか?」を占うことが出来るのではないか?と思って読んでいる。(笑)
その一つ、“*リニア新幹線は、必ず失敗する”と書いてあるが、さてどうなることやら?



私の好きな日本人 追  「二月六日」
『私の好きな日本人 石原 慎太郎著 幻冬舎』 (承前)

巨きなリアリスト 賀屋興宣』という章で、感動した!
先ず、私が殆ど知らなかった人物だったが、IME辞書が、知っていたことだ。“かやおきのり”と入力したら、ちゃんと漢字で出て来た!(びっくらポン!笑)

ま、そんなことより、賀屋氏が、相当な大人物だったことが窺えることだ。
支那事変の前、軍部が権力を持ち始めた時期に、日本の経済政策を立案して、それを実行した人物だそうだ。

その政策(案)を『賀屋財政経済三原則』といい、「物資の需要の適合計画」、「国際収支の適合計画」、「生産拡充の具体的計画」などから成り、その案が評価されて大蔵大臣として入閣し、腕を振るったそうだ。
賀屋氏が下っ端(財務官僚)だった頃でも、大蔵大臣が直接電話をして来たり、担当大臣が直に頼みに来たりしたという。

今でこそ、私達庶民・市民は、(軽々にも)大臣職などは“軽い存在・役職”にしてしまっているが、当時は、軍部や官僚達の扱いも難しく、そんなに軽々しい職務ではなかったろうと思う。
そうした職にある大臣からの質問や依頼を受けていたというから、この人物の周りに対する「影響力の大きさ・重さ」を感じられた。

そんな人物から、若かった著者:石原慎太郎氏が見込まれたということだから、やはり石原氏も、単なる物書き・小説家の枠には、納まらなかったわけだ。

しかし、今の日本の無差別・平準化社会では、こうした大物人物も、小物達や私達民衆に引き倒されて、平べったくなる以外に道は無いのかもしれない。(啼)



脳を味方につける生き方  「二月四日」
『脳を味方につける生き方 苫米地 英人著 三笠書房 2009年7月 1刷 \1,300+税』 (購入\200税込み)

この本も、ありきたりの「ノウハウ本」なのだが、所々参考になるポイントがある。

(私が)“なるほど、そうだな!”と思ったのは、「はったり」でもいいから、「なりたい自分」を演じるということ!

ただし、これには二面性があって、「潜在的な実力があるのに、それを表に引き出せないタイプの人間」には良い方法だが、「それが無いにも拘わらず有る振りをしたがる人間」には、周りが迷惑するだけではないかと思う。

それで、思い出すのは、以前民主党の(陣笠)議員が、自衛隊の何かの式典か?会合か?に出席する際に、自衛官に向かって、「俺の車を優先的に駐車させろ!俺は国会議員だ!(偉いんだぞ!)」とかで係員に食って掛かり、新聞種になった話。

他方、スポーツ選手などは、「イメージ・トレーニング」で、自分が勝ち抜く姿を思い描くことによって、自己の能力を上げて行くそうだから、これなどは良い方の手法だろう。

そんな一般論よりも、自分の日常生活でも上手く使えそうだなと思ったのは、「風邪を引く前」の態度?姿勢?だ。
“くしゃみ”は風邪引きの前兆だが、そんな時は先ず、風邪を引いて熱を出して寝込む自分の姿を思い描く。そして、それは嫌だからと、元気で仕事をしている自分の姿を考える。
あるいは、外出から帰った時は必ず塩水で(形だけの)嗽をする。それは消毒目的などではなく、身体内部に刺激を与え、耐性を上げるよう指示しているつもりで。(笑)
・・・ 私は、そんな方法で耐性を上げているので、ここ数年風邪で寝込んだことが無い。
・・・ 実は、これも一種の「思い込み」なのだが、それでも結構有効なようだ!


「脳を使う」というのは、兎に角、自分の身体の状態を「脳」に認識させるってことだと思う。そして、それを改善する意欲を高める。それがコツではないかな?!
風邪を引くのは、必ず別のことに気を取られていたり、あるいは緊張が緩んだ時が多いことからも頷ける。

ことのついでに、「」と「」についてだが、一般には、「」はの方で、「」は心・心臓(?笑)で、それぞれ別物だと思われているようだ。

だが、私は最近、それはどちらも「」にあって、異なるのは、「脳を働かせるエネルギーの質や量の違い」ではないかと思うようになった。
それを上手く使い分けられれば、自分の人生は、もっと活発に・知的で・楽しく・面白く出来るのではないかと、欲深く色々考えて、試している処だ。(笑)



私の好きな日本人  「二月二日」
『私の好きな日本人 石原 慎太郎著 幻冬舎 2008年11月 1刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)

この著者は、幅広い感性と鑑識眼と発言力を持って居られるので、どんな人物を挙げられるか興味があった。
だが、やはり、私の感性からは、とても及ばなかった。:-/
えっ?こんな人物をなぜ選ばれたのか?と思ったが、読んでみると、なるほど!と思うことも多い。

私が分かり易かったのは、「日本武尊」で、日本人男性の心にある「自己犠牲に徹する」という精神を指摘されていることだ。

最近の「遺伝子研究」から分かって来たことは、男性の遺伝子は、環境変化への対応能力の高さを武器に、女性の保護・守護をさせる為に、作り出されたものだそうだ。
 ・・・ 「Y染色体」が、それだ!
Y染色体」はその不安定さゆえに、好奇心や冒険心が強く、異環境への対応、その緩和・解消能力も高い。
「Y染色体」は、「自己犠牲」(の特性)を前提に、女性(遺伝子)の保護が期待・要求されているといっても過言ではないという。

そうした「自己犠牲」は、人間の活動として様々の形で現れる。小は、婦女子や家族の為、中は国家の為、大は人類全部・他種族(保護・救済)の為?などなど。
(女性は、男性の(自己犠牲を)誘うために、化粧をし、美しく着飾り、いわゆる“貢君”を育てる)

私のような小人・凡夫は、平生は家族や親類ぐらいにしか、自己を供与・犠牲には出来ないが、大東亜戦争(=太平洋戦争=第二次世界大戦)では、多くの男性達が日本国・国家(=自分達や家族群を抽象化したもの)の為に「自己犠牲」を厭わなかったわけだ。
・・・ いや!厭わなかったと言えば嘘になるだろうが、少なくとも義務だとは感じていただろうと思う。

だが、近頃は「自己犠牲」どころか、「自己保存」ですら知らない!?間違って教えられている!?と思うことが多い。
例えば、ある連中などは「怪我すると、痛いから、戦争などに行くのは嫌だ!」と嘯いてるけど、女性達から「私の為に死んで!」と云われれば、男性達は喜んで戦いに赴くはずだからだ。(笑)

「自己犠牲」は、実は、「集団の自己保全の一つの形なのですよ!」って、池上彰氏辺りが皆にとくとくと解説すればいいのになぁ!と思う、今日この頃。(苦笑)


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