導育甘言集 2015.11 [表紙頁]へ [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ
西域から来た皇女 [1129]
『シルクロード西域から来た皇女 小林 恵子著 祥伝社 平成17年11月 1刷 \1,575』 (購入\200税込み)
どうも、この本の著者は沢山の知識をお持ちで、それを一杯披歴して説明されようとしているのだが、可能性はあっても傍証としては不十分な話ばかりのような気がする。
それに表題の“西域から来た皇女”だから、どうだったのか?どんな影響を周りに及ぼしたのか?などの因果関係が、よく分からない。
この本を単なる歴史書として読むだけなら、別にそうしたことは考えなくて良かろうが、それだと、あらゆる事柄が雑然と描かれているため、読んでいても、頭の中がごちゃごちゃするだけで、あまり面白味が無い。
(例えるなら、味噌も糞も一緒くたに並べてあるってことだ)
ちょっと、"女性達のお喋り”(重み付けの無い情報群や感想群の伝え合い?)に似ているなぁと思ったり。
私のような、筋書きがすっきりしていて単純な話が好きな人間には、向かない本だ。
書く側が、沢山の情報を並べるだけで、“後は、読者がお好きなように解釈して下さい!”ってのは、そりゃ無責任というもんだ!
出来るだけ話を絞って、筋道立てて分かり易く説明するつもりになれば、それは可能だと思うがなぁ。
それに、主人公が幾人も出て来る小説なんてのは、読者が目を廻すだけで、あまり一般受けしないのではないかな?
昔、学校で国語の時間に“文章の読解力テスト”などがあったが、あれは逆だ!な。
読んでも、直ぐに意味が掴めない文章は、「出来が悪い!」と刎ねてしまっても構わないことを教わるべきだったと思う。
それを無理して読んで上げようなどと、読む側で努力するのは、文章を作る|書く側の(思考的)怠慢を助長することになるし、色々な違った考え方をする数多くの作者、著者の書き物を、出来るだけ沢山読むのには、適さないからな。
すべての人への教育動作 [1127]
『すべての人への教育動作 菱沼 昇一著 環健出版社 平成22年3月 1刷 \2,000+税』 (購入\200税込み)
広汎性発達障害”にも有効だとあったので、それの治療に興味を持っているので、この本を買ってみた。
著者の言おうとしていることは、何と無く分かるのだが、その能書きばかりで、肝心のポイント”が掴めない。
どうも、著者自身が、その「教育動作」の真髄”を上手く抽出出来ていないのではないかと思うし、「教育動作」という言葉自体も、不得要領だ。
私なりに考えたのは、例えば「カイロプラクティック治療」は、主に背骨や腰骨の矯正を中心”にして、全身の体調不良を治すらしいが、この「教育動作」は、「基点」を中心”にする手法らしい。
だが、厄介なのは、その「基点」の出来具合や位置が、個人々々でまちまちのようだし、位置も移動するらしいから、それを探りながら発生・生成させないといけない(それを被治療者から暗黙的に教わりながら)ってことらしい。
ネットで調べると、「カイロプラクティック」も様々な亜流があるらしく、この「教育動作」も、その亜流の一種ではないかと思うが。(...定かではないが)
いずれにしても、被治療者との直接接触”や強制操作”が必要なので、下手をすると最近流行の「セクハラ、パワハラ、モラハラ、...ハラ」に引っ掛かる恐れもあり、ヤバイヨ!ヤバイヨ!という類の治療法かもしれない。(笑)
だが、治療方針の幾つかは、素直に納得出来るものだ。
例えば、「イメージを思い描けるから指導が成立する」とか、「変化を読み取るから指導が成立する」というのは、治療の必須で基本的な方針”だからだ。
それは兎も角、私自身が自分でやれる範囲でやってみて、効果があるか無いかを確かめればよかろう。
(飽きたら終わりだが、)太極拳の真似事と組み合わせて、その「基点つくり」を試してみるかな?と思っている。
林望のイギリス観察辞典 [1125]
『林望のイギリス観察辞典 林 望著 平凡社 1993年7月 4刷 \1,400税込み』 (購入\200税込み)
これは約二十数年前の著作だから、イギリスも、少しは変わっているだろうけど、イギリスのある階層の人達には、意固地なまでの階級制度維持の気質・傾向があるという。
そうした階級の存在について、私達今の日本式民主主義下での万民平等”を知っている|それしか知らない人間には異様なもの”に思える。
だが、イギリス人とは違って、今の私達日本人は、その階級なりの矜持”ということに関しては、まったくいい加減ルーズになって来ているから、イギリスの階級制度について良し悪し云々は出来ないだろうと思う。
私は、むしろ、その得失を知って、今の日本の職制の見直しなどに利用出来ないか?などと考えている。
この本は、そうした意味の興味深いネタを、沢山提供して貰える好い「辞典(?随筆!)」だ。
江戸の遺伝子 [1123]
『江戸の遺伝子 徳川 恒孝著 PHP研究所 2007年6月 4刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
この本は、「江戸」という時代の見方を変えさせられる、好い意味で大変ユニークな内容だ。
私も、江戸時代の(世界史的な)別の見方・考え方を教わった感じ。
江戸時代をよく見ると、封建社会で、大衆は圧政で息苦しい世の中だったと言い触らされているけれど、実は、厳しさは武士階級だけであって、一般庶民は(飢饉などの災害時を除けば)至極のんびりした庶民の平和な時代だったらしい。
同時代の世界の情勢を、横並び的・並行的に紹介されているので、どれほど日本の庶民・国民が恵まれていたかがよく分かる。
通常は縦筋でしか見ない歴史を、世界横一列で見ると、こんなに違うものだってことだ!
まぁ、そうした(貧しいなりにも豊かな)江戸・日本も、世界各国との付き合いが始まると、のんびりはして居られなくなったわけが、やはり日本人の持ち味・良さは、江戸時代の遺伝子”(実は、古代日本からのもの)を引き継いでいるはずだから、それを意識して復活させるのが良いのではないかと提案されている。
なるほど!と、感心させられた!
宇宙の果てまで 巨大望遠鏡「すばる」誕生物語 [1121]
『宇宙の果てまで 巨大望遠鏡「すばる」誕生物語 小平 桂一著 文藝春秋 1999年3月 1刷 \1,905+税』 (購入\200税込み)
この本の内容も興味深いが、著者の活動の仕方も尊敬に値する!(とても、マネが出来ない)
それ程、冒険活劇風の内容でもないのだが、あたかもSF小説を読んでいるような気になって、一気に読んでしまった。
日本の一研究者が、世界一の大望遠鏡を作ろう、しかも、それをハワイに置こうと考え、予算の当てもないところから始められたわけだが、その途上で出て来る色々な(専門外の分野の)問題も、ご自分(達)で研究し、解決しながら進められたそうだ。
現在、稼働中の「すばる」望遠鏡のサイトは、ここ!
この本を読みながら、つい「日本製スパコン」の性能を二位じゃぁ駄目なんですか?!”という下司な問いや、「安保法制」を憲法違反だ!”としか考えられない憲法学者達の無能ぶりを思い出してしまった。
あんな連中に、この著者の爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ!と思う。
天体観測は、レンズの歪み”や空気の揺らぎ”を嫌って、室内でも冷暖房などは無いらしいが、夏冬問わず屋外で星を追って居られる
「くっしーさん処」の零度以下の環境でのご奮闘ぶり”には敬服する。
ベンツと大八車 日本人のアタマvs西洋人のアタマ [1119]
『ベンツと大八車 日本人のアタマvs西洋人のアタマ 都筑 卓司著 講談社 1977年12月 2刷 \870』 (購入\200税込み)
この本は、私達日本人の見方・考え方に関して、大変参考になったし、他の項目でも色々啓発された!古いが、値打ちがある!
私達日本人種は、概して、アタマが堅い固い硬い?!という。
一方で、執念深くて、やろうと思ったら(方向違いであろうがなかろうが)徹底的に突き進めるタイプだという。時には、非実用的であっても、無理矢理押し通し続ける悪癖(?)があるため、良い効果・結果も、悪い効果・結果も出て来るようだ。
(考えてみると、無用の長物だった戦艦大和、中古でも長持ちする日本製自動車、時刻ピッタリの電車運行などなど、確かに、一杯あるなぁ!)
それはそうとして、実は、この本の中で気になる指摘がある。それは、次の節、
そのとおりには相違ないが、いくらなんでも正直すぎる・・・と私は思った。十分に分別のある大学生などではこうした事情を知っていなければならないが、小学生のうちから、このようなタテマエ論とホンネ論との区別を、その柔軟な頭に叩き込むのはあまりにもいきすぎではないか・・・と、そら恐ろしくなった。
これは、つまりは、子供の夢は夢のままで置いておけ!ってことにもなる。
今時は、大学生になっても、そうした分別が出来ない連中が多いことから考えると、早い内から教えておかないといけないのではないかと思ったりもする。それは、“サンタクロースは居る!”ていうのと、“憲法九条は平和憲法! ”というのと、“五十歩百歩の夢”だもんなぁ。
この著者なら、今時の“こども大人(≒幼稚な大人)”をどう考えるか、尋ねてみたいものだ。
エサウ 封印された神の子 [1117]
『エサウ 封印された神の子 フィリップ・カー著 東江 一紀+後藤 由季子訳 徳間書店 1998年10月 1刷 \1,800+税』 (購入\108税込み)
この本は、SFモドキの冒険小説ということで、帯の解説・宣伝文句に唆(そそのか)されて買ってしまったのだが、期待感ばかりが先行してしまい、結局は物足りなかった。
最後まで飛ばし読みしたのだが、粗筋は、従来の冒険小説とほとんど類似なので、あまり新鮮さが無いのが特徴だ。
(当然、読む人によって読み始める箇所は違うだろうが、)私の場合、最後の第4部-「29」(P428/489)から読み始めても十分間に合うって感じで、それ程、前半は無駄な話が多かった。
先日から読んで来た「彷徨える艦隊」ほど、好奇心をくすぐられず、教訓的でも無く、感動も無い、ありきたりで、副題の“封印された神の子”などと謳うほど、“宗教的・科学的に内容のある濃い話”ではなくて、(そう期待せずに、)軽く読む冒険小説だった。
車窓からみた日本 [1115]
『車窓からみた日本 加藤 秀俊著 日本交通公社 昭和45年8月 1刷 \450』 (購入\108税込み)
この本は、鉄道模型店の特価箱の中から買ったもの。
主に、車窓から見える色々なものに纏(まつ)わる話が書かれている。
当初は、各地の風景が描かれていて、そこはかとなく楽しいだろうなと思って買ったのだが、どうも、薀蓄が多過ぎて、ぼてぼてしている。
読者の想像力を喚起して愉しませるというより、著者の豊富な知識の披瀝で、これでもか!これでもか!と押し付けられる|語られるのには、少々辟易。orz
何だか、全部分かり切ったことになってしまって、好奇心が湧かなくなる。
...そんなのは、あまり好きではない。私との相性が悪い|悪かったということかな。
出来れば、風景描写が細やか、かつ伸びやかで、読む側の想像力を掻き立てるような話、が多ければ良いと思ったのだが。
この先には、ね!あれがあって!これがあって!こうなっていて!こうなんだよ!...で、(ご親切にも)完結させてしまうわけだ。
この道を行ったら、何処へ出るんだろう?...一度、自分でも行って見たいもんだなぁ...なんて気にはならなかった。
彷徨える艦隊9 [1113]
『彷徨える艦隊9 ジャック・キャンベル著 月岡 小穂訳 早川書房 2014年1月 1刷 \1,100+税』 (購入\687税込み)
(読む速度が早過ぎて?)とうとう発行・出荷時期に追い付いて来てしまった!...なので、もう、古本は少なく有っても新古本に近いので、値段も安くな〜い!
本の内容の方も、段々重くなって来た。(ま、自分の思いだけなのかも。苦笑)
当初は、冒険活劇で、敵に阻まれながらの(主人公をリーダーにした)逃避行だったのが、道々で敵を撃破しながら、最後は和平にまで持ち込むのだが、後々問題が残ってしまう感じ。
それは、敵が強力な(連合)政府であった時は、“一つの強敵”として存在していただけだが、和平が成った後でも、各地域でゲリラ的な攻撃が依然として続くのだった。
私達日本人が期待するように、和平が成ったからといって「此れにて一件落着〜!」という具合には、戦争は終わらない|終えられないものだってこと!何時迄も、しつこくゲリラ的に攻めて来る敵達が残っているわけだ。
(韓国の「韓国人戦地売春婦問題」もそうだし、シナ・中国の「南京事件」もそれと同じだと思う)
また、軍隊の規模が大きくなり、活躍したリーダーが強力になってしまうと、平和時の“軍隊の扱い”に、国や政府が困るのは何処も同じらしい。この本では、少数の有能な政治家達に、リーダーや軍隊の行動を常に見張らせて、政府から巧みに干渉して行くのだが。
戦前の日本は、そうした巧みな政治コントロールに失敗して、(意地が強い?)軍部に(真面目で弱気の?)国・政府が牛耳られてしまったために、“下手糞な戦争”に飛び込む結果になってしまったわけだ。
戦後、“自衛隊の文官統制・管理”が決められ、その基本思想は良かったのだが、逆に、現在進行形の今の統制形態(国会・国会議員連中が関与)には以前のような“拙い問題(衆愚統制=総論賛成・各論反対|どれも反対、何も決められず)”があるように見える。
それは、現在は、(愚かな)国会議員達が、自衛隊やその軍事行動に干渉出来るようになっているらしいからだ。
やるべきは、(外交・軍事共に知識や智恵のある賢い)専門家が監視・指導する方式に変えなければ、今のままでは、(外交や国際平和、更に国内災害対処の為に、)自衛隊・軍隊を効果的に活用することは出来ないと思う。
台湾論 [1111]
『台湾論 小林 よしのり著 小学館 2000年12月 3刷 各\1,200+税』 (購入\108税込み)
この本・マンガの表紙を見て、思わず(可笑しくて、無邪気に)噴き出してしまった。
多分、この顔は、著者ご当人のものだろうと思うが、この衣装でこんな格好にはユーモアを感じてしまうが、こうした絵を描けるってのは、やはり“本物のマンガ家”だと思う。
ところで、この本の中味も、やはり重い!
“台湾”という国(!)は、私達普通の日本人が思うほど、単純に、親日的で、反シナ・中国的一辺倒ではないってことで、“統一中国”も夢のひとつらしい。
そりゃまぁ、そうだろう!やはり、どの国も、どの地域も、どのグループも、人が違えば考え方も、全部違うわけだからなぁ。
そこで思うのは、私達自身、何に同意するか、何を大事に思うか、どう行動するかを、自分の中でしっかり決めておかねば、常に迷うだろうなってこと。
私自身が、最近やっと悟ったのは、兎に角、“自分(を生かす|活かすの)が一番大事だ!”ってことだ。
ただし、それには条件があって、自分を保護してくれたり、守ってくれるモノ、それは家族だったり、グループだったり、国だったり、自然だったりするわけだが、そうした「自分を助けてくれる“周り”」も、“自分の次に大切だ!”と思うべきだな。
でも、今の日本人達は、自分を助けてくれている“周り=社会”を、逆に“搾取すべき敵だ”と見ている人間も多いようだ。そして、“社会”を平気で損なおうとしている連中も多い。
今、一番心配なのは、そうしたこと(自己愛と社会愛)を幼少の頃からきちんと教えるシステムが、今、次第に損なわれていることだ。
(因みに、“18歳選挙権”なんて、ちゃんと“守るべき社会的義務”を教えないまま、“自由気侭に政治を弄る権利”ばかり与える大愚策だ!)
沖縄論 [1109]
『沖縄論 小林 よしのり著 小学館 2005年7月 1刷 各\1,600+税』 (購入\108税込み)
いやぁ!この本・マンガは重たい!
本自体の重量もそうだが、中の文章や取り上げられている過去の事実も重たい!
(その所為で、まだ半分しか読み切れていない)
この中で、“沖縄差別論”が囁かれているという話が取り上げられている。
これまで、米軍の占領下にあった時に米兵たちによる数々の犯罪事件などに対しても、日本政府は、沖縄を守るそぶりすら見せなかったからだそうな。
だが、それは明らかに無知の僻みだな!というのは、本土の私達だっていい加減、“米国優位の不平等な扱い”を受けて来ているのに、ジッと我慢して来ているからだ。
(反発するには、あまりにも、私達自身に“力や智恵”(反抗力?や悪智恵?)が無さ過ぎるからだ。政府だけでなく、私達の大半もだが)
大体、日本人が、結局は戦争に勝てなかったこと、その戦争に負けてからは“本当の負け犬”になってしまったこと、などから、当時も今も、沖縄を守る?...どころの話ではなかった|ないわけだ。
良く考えてみると、未だに日本人自身が「外敵」に対して弱い!あまりにも弱過ぎる状態(股拡げっ放し状態≒憲法九条しかり!≒韓国人売春婦の人権問題しかり!≒捏造南京事件しかり!))なのだ。
だから、沖縄人達が、日本人は薄情だ!とか差別だ!などといってみても仕方が無い!...自分達自身ですら守れない程、“弱虫”なんだからさ!...“戦争”という言葉を聞いただけで、逃げ出すんだから、他県人のことなど構っていられないって!(嘲笑)
だが、最近、安倍首相になってから、その「積極的平和主義」を聞いて、やはり“私達の日本”も強くなるべきだ!と思うようになった。
例えば、「集団的自衛権の行使容認」は、日本国内から米軍を追い払う上で、実の重要な意味があると思う。
これは、米国と対等になり、その肩代わりをするための「パワー強化」の一歩だからだ!
・・・ (日本国も強くなりたい!だが)千里の道も一歩から!だ。
...ところが、反日勢力や騙されているおばはん連中(≒オレオレ詐欺に騙される人達と五十歩百歩の連中)は、そうはさせまい!と、色々な邪魔をしているのが現状だ。
(“股開き的憲法九条”のままで、「安保法制」にまで“クレーム”を付けるこの愚かさ!)
そうした連中は、日本国民皆が“気力・実力”を充実させ、米軍の肩代わりが出来るほどの“力”を持ち、沖縄県だけでなく、日本国内から米軍を退去させるつもりだって?...そいつは、拙い!と気が付いたわけだ。
そうした意味を持つ、「集団的自衛権の行使」に、“反対だ”とか、“あれは戦争法案だ”とか叫んで居る連中は、結局、沖縄から米軍基地を無くそうなどとは、まったく考えていない(粗)悪人たちだ! ... とまぁ、こんな感想を持ったわけだ。
嫌韓流 [1107]
『嫌韓流 山野 車輪著 晋遊舎 2005年12月 6版3刷 各\1,000税込み』 (購入\200税込み)
この本・マンガは、これまでの日韓の間にある“様々な歴史問題”を取り上げて丁寧に解説してあり、実情が良く分かる。
この本でも指摘されている韓国人の「火病」(何にでも激し易い傾向≒病気)は、わたしの見るところ、一種の精神病ではないかと思う。
物事の価値判断を世の中の常識と一致させず、自分の被害(?)を、やたら針小棒大、被害妄想的に考え、他者に過大な(補償)要求を突き付けるというような悪癖だ。
マナーなどにも、現れる。スポーツマン・シップに則って...などという考えは、彼らにはあまり通じず、フェアにやるべき試合などでも、相手へのひじ打ち、足蹴りなどは毎度のことだし、してはいけない審判への抗議や委員会への強硬な申し入れなどでは、他国の皆が辟易しているという。
でも、他国は優しいのか、優柔不断なのか、(してはいけない一線を越えているのに、)彼らを排除すべし!という声が上がらないらしい。いずれも、うやむやの形で終わっているという。
...その辺りは、韓国人の巧さ、狡さがあるようだが、それにしても困ったものだ。
そうした連中が作り出す“反日的諸問題”に対しては、無視する以外に、良い解決策を思い付かない。
向こうの方は“無視する”にしても、日本国内の反日運動屋連中は、無視は効かないので、(“お邪魔虫”を処置する時のように、)叩き潰すか、ホイホイに追い込んで、ちゃんと始末しないといけないのではないか思う。
彷徨える艦隊3、4 [1105]
『彷徨える艦隊3、4 ジャック・キャンベル著 月岡 小穂訳 早川書房 2009年08月/11月 1刷 各\840+税』 (購入各\258送料込み)
このシリーズは、ホント面白くて夢中で読み耽っている。この先も楽しみだ♪
...しかし、これらの“表紙絵(イラスト)”が、かなり気に食わない!(他の巻のは悪くないのに)
「3」は、誰の描像のつもりなのか分からないが、“指を銜えるような人”は一人前の人物ではない。(未成人か異常者だ) それに、もし主人公なら“頭痛持ち”のはずなので、頭を抱えることはあっても、口などに手を持って行くはずがないからだ。
「4」は、頭部に比べ、不釣合いに胴体が長くてキモイ!このイラストレータ、人体デッサンの基本を学んでいないのでは?
だが、本の中味は違う。このシリーズで学ばされることも多い。
例えば、物事の考え方・行動の仕方だが、私達日本人は、「和を以って貴しと為す」と教わって来たから、“反対者”の存在は、単に厭わしいものとだけしか考えない。
それらを、真っ先に排除しようとする。そして、会議なども、“全員一致のシャンシャン♪”で終わりたいのだ。
この本の主人公は違う。やはり欧米人風な考え方であり、“反対者”や“敵”の存在は“必然”だと考えていて、常に、どうやって説き伏せるか?どのように妥協や指導をして行くか?を考えている。
また、情念だけで自分の行動を決めず、理性的に全体を考えて、最適と思う行動をする思考力や能力がある。(と描かれている)
それが大変羨ましい!
それにつけても思うのは、シナ・中国が嫌いな人達が、彼の国が経済的にも立ち行かなくなり、民主化が進む事を望んでいるという話を見聞きするが、それが彼の国にとって、また世界全体や日本国の為に良い事なのかどうか?ということ。
気分的には、彼の国が倒れ、民主化が進むことを喜ばしいと思うけれど、理性的には、“無統制の民主化”は、無政府状態で国が乱れることであり、“一層拙いことになる”と分かる(「水滸伝」を読んだり、今のISなどの状況を見れば、それがよく分かる)から、闇雲に彼の国が倒れることは望めないのが辛い。
彷徨える艦隊2 [1103]
『彷徨える艦隊2 ジャック・キャンベル著 月岡 小穂訳 早川書房 2011年11月 4刷 \840+税』 (購入\460消費税・送料・手数料込み)
(残念ながら、この巻は5箇所のBOOK-OFFでは見付けられず、Amazon経由で買わざるを得なかったが、どうやら、この本は中古というより、まだ新古の部類らしい)
この2巻目で出て来るのは、この時代軍隊組織もかなりルーズになっていて、戦術を(平艦長達の)艦長会議で、投票で決めるいう話が出て来る。(アホか?こいつら!と思いながら読む)
当然、主人公は驚きながらも、指揮権は自分にあることを強調するのだが、やはり、“個”を主張する連中を抑えるのに苦労するようだ。
この話で思い出すのは、日本・大阪のある学校で、「校長」を教職員達が投票で選んでいたという。しかも、そうした例は他校でもあるというバカげた話だ。
管理職が、非管理者達の人気投票などによって選ばれると、碌でもない組織(≒なぁなぁ組織)にしかならないことは、よく知られた事実なのだが、それが平然と行われるようになって来ているってことだ。
大阪市は、「公募校長」(達)にやらせようとしたが、色々な不祥事(中には、セクハラやパワハラで?)で、あまり評判が芳しくないという。
この本の主人公自身のように、(事前に)統率者としての厳しい訓練・トレーニングを受け、実戦で鍛えることをしなければ、「(教育実務の出来る)校長の資格」を持たせるのは無理ではないかと思う。
消防・警察・自衛隊などは厳しい訓練は、まだ当然のこととしているが、教育や政治関係は、元からそうした体勢は無いし、昔はあった職業・経済関係では、最早消滅し始めている。
組織が持つ機能性・高効率性・有益性が失われつつあり、本当は由々しきことなのだが、皆は、気が付いていないらしい。
(沖縄県の公共性無視の反基地運動、東芝の経営不祥事、シャープの大赤字経営、原子炉もんじゅの稼動不能状態など、全部この範疇に入っている!)
彷徨える艦隊(1) [1101]
『彷徨える艦隊(1) ジャック・キャンベル著 月岡 小穂訳 早川書房 2008年10月 1刷 \840+税』 (購入\108税込み)
(米国産)SFは、以前は貪るように読んでいたのだが、最近は、(国産の)思想、政治、教育モノに没頭していて、SF関係はとんとご無沙汰だった。
が、先日BOOK-OFFの棚にずらっと並んでいたので、ちらっと中味を見てこのシリーズをごっそり買って来た。
ただし、No2,3,4は抜けていたので、別途Amazonなどから、高額(二百五十八円〜四百六十円)で購入。
読み始めたが、これがなかなか面白い!
というか、一人の過去の英雄が生き返って、敗退・殲滅寸前の宇宙艦隊を指揮して巧く逃げ出すという話。
話の筋書きは単純だが、切れの良い指揮の仕方や、古いが正道な捕虜の扱い方など、共感・納得する面が多い。
民間人地域を無差別に攻撃・破壊しないことや、捕虜の扱いは(昔の?)戦争法に則って生命を保証し拘束することなど、昨今の戦争(米国の空爆やISによる人質殺傷など)への暗黙の非難も含ませてある。
この分なら、買ってある7巻は、結構楽しめるのではないかと期待している。
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