導育甘言集 2015.05 [表紙頁]へ [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ
「普天間」交渉秘録 [0530]
『「普天間」交渉秘録 守屋 武昌著 新潮社 平成22年7月 1刷 \1,600+税』 (購入\200税込み)
この本は、沖縄「普天間基地」周辺の負担軽減を図るために、「辺野古岬」への基地移転について、直接、米国と沖縄県との交渉に当たった防衛省(元防衛庁)事務次官であった著者の書いた記録だ。
折衝事務官として、将に、血の出るような折衝努力の経緯を、積もる不平・不満も爆発させず、淡々と綴ってある。・・・ 大変、強い人物だなと思う。
私だったら、こんな仕事をやろうとすると、精神病を病むか、こそこそと逃げ出すだろうと思った。現に、周りの高官や政治家で幾人かは責任逃れで、逃げた人も居るらしい。
しかし、1996年12月に日米両者の最終取り決めで、代替施設が出来次第「普天間基地」が返還されるはずだった。
それから、沖縄県との困難な折衝の末に、案をまとめ、やっと、2005年10月に日米間で「辺野古移転案」が合意なされたという。
ところが、その後、ずっと沖縄県の“サボタージュ”や“変心”などがあって、防衛省が設計した「辺野古案」に対して、陰に陽に切り崩しや設計変更要求、さらには認可した県知事の交代、反対運動の激化などが続く。
この著者が退任(2007年8月)した後も、未だに建設作業は捗々しくない。
2015年5月末の現在に至っても、まだ「辺野古基地」移転に対する反対運動が続けられている。
「普天間基地周辺の県民や子供達の将来の問題」など放ったらかしのままで、延々と基地移転反対運動が続けられていることだ。
県民の過半数が、そんな事など知ったことか!という風情で、兎に角、沖縄県から基地を追い出せば、事は解決するのだ!と気勢を上げているらしいが、私には、それがどうにも理解が出来ない...と思いながら、この本を読み終えた。
沖縄県人らは、基地を追い出した上、日本国の補助金なども受け取らないで(いや!実はそちらの方は、意地汚くちゃっかり取る算段はしてあるそうだが、)一体、“沖縄県の将来、子供達の未来”をどうしたいと考えているのかな?
(宮崎 駿氏も加わっているらしいから、)少しは“夢”など描いてはいるのだろうけれど、ちっとも、そんな建設的な沖縄の姿かたちが見えて来ないが。...(尤も、私達日本国だって、明快な夢は無いけれど、少なくとも、平和で、借金の無い健全な社会を子孫に残してやりたい!という夢はある)
もしかして、(刹那主義的に、)今沖縄から基地が無くなれば、それだけで良いのだ!ってことなのかな?
(私には、沖縄県政が“約束破り”や“民意を背景にした反日・反基地運動”をする様など、韓国人や北朝鮮人に似ている感じがして仕方が無いが、もしかして、これもDNA=遺伝子が違う民族運動の一種なのかな?)
われ日本海の橋とならん [0527]
『われ日本海の橋とならん 内からみた中国、外から見た日本−そして世界 加藤 嘉一著 ダイヤモンド社 2011年9月 4刷 \1,500+税』 (購入\108税込み)
この本は、ベストセラーになったと噂で知っていたので、買ってみた。
確かに、この著者は、シナ・中国の現状を客観的によく調べて居られるようだし、内容も真面目だと思う。
特に、日本人の立場と中国人の立場を、きちんと分けた上でご自分の意見として、色々な物事の判断・評価をどうすべきかを書いて居られる。
だから、ノンポリ一般人としてどう振舞えば良いかの“当座の処方箋”にはなると思う。
既に、“自分の身の置き所”が確定して居る人間からすれば、厳しい言い方だが“参考資料にしかなならない”と思う。
つまり、縮めて言えば、良い中国人もいれば、悪い中国人も居るし、賢い中国人も居れば愚かな中国人も居るってことだ。
それは、私達日本人についても言えることだろう。
で、どれくらい詳細に、お互いの人間の姿を知るか|知っているか、それを現実の自分の考察や行動(考動)に反映させるかが、次の話になるってこと!
私自身は、直接接触する人達にはどう、少し離れればどう、ずっと離れればどのように接するかの判断基準を、既に持っているので、この本を読んでも、特に変える必要性は感じなかった。
この著者が書いて居られる通りで、身近でマナーを守らない人を見れば、それを避けるか、敢えて忠告もするだろうし、シナ・中国(政府)が日本国首脳に対して無礼な振舞いをすれば、当然“軽蔑”や“非難”もするということ。
それらは、“理解したから許せる|許すことでもない”と思っている。
蛇足だが、「BOOK-OFF」の値札付けの様子・変化が面白い。
この本の販売値のラベルが、3枚貼り足されていて、\810→\360→\108と落ちているのが分かる。
著者は、シナ・中国では“息の長い人気”があるらしいが?日本では“一発芸人の人気”なのかな?それとも、落ちたのは著書の人気だけ?と変な想像をしてしまった。
因みに、一時人気だった古賀茂明氏の中古本が、最近、値段の低下と共に、数冊並んで見掛けるようになったが、これも人気が落ちたから?(笑)
自壊する帝国 [0524]
『自壊する帝国 佐藤 優著 新潮社 2006年6月 2刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
この本は、冒険小説のように面白くて、最後まで一気に読み続けた。
ソ連が、ロシアや他に国々に分裂して行く途上で、(敵味方を問わず)政治的に高位の人達に、日本外交官として接触を続け、的確な情報を得て来た話だ。
相手との間で醸成した友情を大切にすることで、苦も無く情報を得る様子を見ると、これは著者の並々ならぬ努力に加え、やはり持って生まれた才能だろうな、と感嘆!
他方、これは、個人主義に徹した欧米人相手のことで、日本人間やシナ・中国人相手ではなかなか難しいのではないかという気がした。(私の誤解かな?)
日本人は同じ種で群れることはあっても、異種の個々人間で連携を維持するってことは、至難のことだから。
しかし、この著者が、最近沖縄の「辺野古基地移転」の反対運動に加わっているらしいので、大変奇異な感じを受けている。
...だが、その気持は分からないこともない。多分、もう何かに責任を負う立場でも無いし、物事の大局的な判断からではなくて、沖縄人への個人的な同情心がベースになっているのではないかと推測しているのだが...確認したい気も有って、もうちょっと、この著者の本を探して読んでみようと思っている。
すごいぞ日本 [0521]
『すごいぞ日本 産経新聞社 取材班著 宮家 邦彦寄稿 産経新聞出版 2009年6月 1刷 \1,500+税』 (購入\108税込み)
残念ながら、「大阪都構想」の住民投票で反対票が多かったのを診て、もう日本の“知能レベル”が下限を切って、もう“情動レベル”に入って来てしまったなぁ!という感じがしているのだが、この本のあとがき(最終ファイル)にも、そうした意味のことが書いてあった。
「やばいぞ日本」を書いた後で、それを打ち消したくてこの「すごいぞ日本」を取材したが、やはり「やばいぞ日本」という感じを拭い切れない?という雰囲気がある。
私も同じように“やばいぞ!”という感じを、今の私達の日本国に対して持っている。
「やばいぞ!」という方は、日本自らが穴ぼこに落ちるほど与太っているということだし、「すごいぞ!」という方は、酔っ払っていい気持になっているだけかもしれないからだ。
また、“やばい”のは自分達の「性質」だが、“すごい”のは自分以外の「能力」だから、そのままでは補い合う事は出来ない。“やばい”のは、多くが、片付けようとせず、ゴミ(=財政赤字)を積み上げながら、日本を“ゴミ屋敷”にしつつあることなのだ。
とは言うものの、この本は、若い人達に夢を見させる上で有効だろうから、是非読ませたいものだ!
(一方、私は、今の「やばさ」を、打ち崩せない虚しさを感じながら読んだ)
人間というもの [0518]
『人間というもの 司馬 遼太郎著 PHP研究所 1998年12月 2刷 \1,238+税』 (購入\200税込み)
この本は、著者が嘗て出版した著書から抜書きしたフレーズ集で、色々な登場人物の想いや態度などを現したものを分類したもの。
人間というものを、その機能・働きごとに眺めるとこうだ!ということだが、著者の好きだ、嫌いだという感想などは殆ど入っていない。全て肯定的に観て居られる。
(尤も、嫌いなテーマについては、触れられて居ないのだろうけど)
私も、これを読んで、ナルホドなぁ!とか、同感だ!ということはあっても、それは嫌いだ!ダメだ!という感覚は、生まれなかった...?
中の話で、先般から話題になっている「70年談話」に関連しそうな箇所があった。[集団としての人間]の項、
『元来、子孫というものが先祖に対して責任をもつ必要はいっさいない。私どもこの世に一人存在しているのは、三百数十年前までさかのぼれば、その間、どれだけの血縁者を持つか、数学的に計算したこともないが、おそらく五十万人や百万人ではきかないであろう。それら無数の連中がやったであろう窃盗、殺人、姦淫、かどわかしから盗み食い、浮気にいたるまでそれをすべて子孫がひっかぶって気にせねばならぬとすれば、それはすでに立派な狂人であろう。『余話として』』 ...とある。(狂人という言葉を用いて居られるから、多分立腹も?)
他方、村上春樹という小説家が、先日毎日新聞に披露していた話は、狂人以下の話? 曰く、
...相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。
先人達のありもしない所業(後日捏造話と判明)を非難されて、今の私達がなぜ謝らねばならないかと反論しているのにも拘わらず、この小説家は、ぺこぺこ謝れという。自分が謝るわけでは無いからいい気なもんだ。(怒)
第一、欧米には、自分が悪い|悪くないに拘わらず、謝ったが最後、賠償責任を負うことになるという風習・慣習があることを、村上氏はモノ書きのくせに知らないのだろうか?...驚くほど無知だってことだな!(嘲笑)
DNAの陰謀 [0515]
『遺伝子は何を企んでいるのか DNAの陰謀 中原 秀臣、佐川 峻共著 太陽企画出版 1994年6月 1刷 \1,700税込み』 (購入\108税込み)
私達人間は、未知なものには畏れ|怖れを感じて、ややもすれば忌避したい思いが強いが、「遺伝子」に関しては、知識も増え操作出来る範囲も広がって来ている昨今、そうも言っては居られないようだ。
私達素人も、せっせと知識を増やさねばと思っている。
この本で初めて知ったのだが、先日読んた本「パラサイト日本人論」にあったATLウイルス(Adult T-cell leukemia virus)が、実は「エイズ・ウィルス」によく似ていると分かって、ギョ!...だが、同じモノではないと分かって一安心!
しかし、こうした「ウィルス」が、生物や植物と共存しながら、時として“悪さ”をして、母体である生物・植物の方に害を及ぼしたり、偏向させたりする例が色々見付かって来ているそうで、大変興味深い。
生物・植物の遺伝子・DNAを操作する技術が、そうした「ウィルス」を使って行われるらしいが、(私達素人は)技術開発は慎重にやって欲しいと思う半面、技術の進歩に期待もしている。
だが、昨今の世の中の様子を見ていると、そうした科学的な知識による判断を嫌って、感情的な恐怖心や畏敬心だけで物事を決めようとする傾向が強い|強過ぎるようだ。もっと、科学技術教育には注力しないといけない!という思いが強くした。
衆愚の時代 [0512]
『「神々は渇く」の政治学 衆愚の時代 矢野 暢著 新潮社 1989年11月 1刷 \1,350税込み』 (購入\105税込み)
この著者は、こう言う。『私は、いまの日本の政治、あるいは世界の政治を「衆愚」政治ときめつけるつもりはない。...』
...ん?本当にそう思っているのかな?(疑わしいぞ)
だが、私は、現実の日本の政治は「衆愚政治」になりつつあると思っている。
というのは、「日本国の国政という任務に対する責任の重さ」が、実質以上(?以下)に軽視されて来ているからだ。
それは、“政治家や政治の質の悪さ”というより、むしろマスコミ、マスメディアによる“政治のショー化”や“政治のお茶の間化”などが主因だと思う。
ただ、それは、以前の「マスコミ経由の衆愚」からさらに下層の「マスコミ劣化の衆愚」に広がっただけだろうけど。
(それはさて置き、)この本の感想は、“あぁ、鼻に掛かるような「フランス臭」がきつ過ぎ!”(笑)
事例の豊富さや、文学的表現力も豊かで、諸所にエスプリも感じられ、読みは快適なので何処までもすいすい読んで行けそうだからだ。 ...けど、内容には実用性が無い!...と感じた。
現実の(日本の)政治に対して、私達庶民が、どのように拘わって行けば良いかのヒントが、殆ど得られないからだ。
まぁ、読んで、知的に愉しむ|面白がるだけの本ではないかと思った。
そのまんまでいいよ [0509]
『ブッタとシッタカブッタ2 そのまんまでいいよ 小泉 吉宏著 メディアファクトリー 1997年8月 21刷 \951+税』 (購入\108税込み)
この本は「こーんなものの見方をしたら人生がもっと楽に感じられるのに...」ってことを書いた本(4コマ漫画)だそうだ。
なるほど!...よくある|ありそうな光景だ!(ただし、“内面”が言葉になっていて解説風だから、見るだけで直ぐ意味が分かってしまうという“難”はあるのだが)...ちょっと皮肉っぽい4コマ漫画もあれば、教訓っぽい4コマ漫画もある。
こうしたマンガを楽しめる人達も多いのだろうが、理屈っぽい私には、物足りなかった。
というのは、なるほど!なるほど!なるほど!...ばかりで、“それは違うだろ!”とか“まさか!”といったサプライズが少なかったことだ。
厳しい言い方だが、私は“癒しが必要だ”とか“あるがままに”とかいうのは、実は、人生を全て受身で生きよう としているのではないかと疑っている。
人には、適度の緊張感や恐怖心を押し戻しながら、生きて行かねばならないのだが、それを“ストレス”と感じるか否かで“ポジティブ人間”か“ネガティブ人間”かが決まる話だ。
まぁ、“緊張”が少し緩めば、それが自動的に“癒し”になるはずだし、“あるがままに”というのは一見良さそうなんだが、実は“だらし無さ ”に繋がってしまう“姿”なので、私は好きではない。
「行動できない人」の [0506]
『「行動できない人」の心理学 加藤 諦三著 PHP研究所 2008年12月 5刷 \476+税』 (購入\108税込み)
「行動できない人」という表題だが、特に自分がそうだと意識していなくても、そこそこ当て嵌まる話が一杯入っている。
だから、利用させて貰うと役に立つ話も多いので、丹念に読ませて頂いている。
その中で、これだと思ったのは、『“背中の教育”が通じない時代』だ。
引用されている話が、使えそうだ!と思った。
名騎手野中 裕二氏の父君省三氏は『馬に乗る時は、「だまして乗れ、だまして。そーっと、良い気持ちにさせて、だましてやれ」と裕二氏に言われていたとか』
裕二氏は、それをご自分の言葉に焼き直して(「馬をリラックスさせて、実力を引き出せ」と)実践されているそうだ。
この話は、「大阪都構想」で浮動票を、引き寄せるのに使えるのではないかと思うが、どうだろう?
また、この著者は、ある校長から、生徒の前でゴミを拾って見せても、最近の生徒は、(反省して)廊下のゴミを拾わなければ、と思わなくなったという話を聞かされたそうだ。背中を見せても、何も感じない生徒が増えたという話だ。
教育現場でそうだからと、つい諦めたくなるが、現実はそうではないと思っている。
大人達が、背中を見せるのを躊躇(ためら)っているのがいけないのではないか?
実は、電車の中で高校生の集団と乗り合わせることがあるのだが、私が敢えてやることがある。
よく彼らが大きなバッグを通路の放り出しているのを見るのだが、ニコニコ(ニヤニヤ?)しながら彼らの顔を眺め廻すことだ。
そうしていると、そっとバッグを引き寄せてくれることも多い。(微笑)
私の方は、彼らの健康そうな顔付きや隣同士とのふざけ合いなど、見ていると愉しくて仕方がない。
相手が幼児なら、口パクで話しかけたりするから、親達から“この、変態ジジイめ!”と思われているだろうけど。(苦笑)
パラサイト日本人論 [0503]
『パラサイト日本人論 ウイルスが作った日本のこころ 竹内 久美子著 文藝春秋 1995年10月 1刷 \1,300税込み』 (購入\108税込み)
この著者の以前読んだ本、「そんなバカな!」が大変興味深く、面白かったので、この本にも期待したのだが。
結論から先に言うと、最後の章(?)「ウイルスがつくった日本のこころ ATLと相互協力、あるいはおせっかい」から読み始めた方が良いようだ。
そこから、必要に応じて、項目を探して逆に読んで行く方が、分かり易い!(前から読むと、退屈で死にそうになる。笑)
其処に、“日本人の社会に対する甘え=寛容な社会への期待”の分かり易い説明がある。
それは、ATLウイルス(Adult T-cell leukemia virus)と共生する人種・種族と、そうでない種族との違いから来るそうで、九州地方にはATLウィルス共生種が多く、京都人(渡来系)には少ないとの調査結果があるそうだ。
そして、本のカバーの絵−JHOMON Old Mongoloid(縄文人:旧モンゴロイド:九州人)とTORAI New Mongoloid(渡来人:新モンゴロイド:京都人)の意味も良く分かる。
先日の安倍首相の米国議会での演説や70年談話などで、やたらと「反省しろ 」だとか「あやまれ 」とか云いたがる|云わせたがる連中が居るようだが、そうした連中・人種の遺伝子は、このATLウイルス(パラサイト=寄生者)の強い影響下にあるようだ。
逆に、そうでない人種の社会では、「反省」や「わびる」事などは、むしろ賠償負担を伴う喧嘩沙汰・裁判沙汰(負け側には刑罰)になるそうだから、迂闊に発するのは“危険”だということ。
そういった観点で考えると、韓国やシナ・中国が、欧米を舞台にして、日本に対して“歴史戦”を挑んでくるのは、日本人同士では軽い挨拶のつもりであっても、欧米では重い刑罰を背負うことになるので、実に“巧妙で悪辣な戦略”だということだ。
先日、村上春樹という小説家が、“日本は、相手が、もういいでしょうと云うまで謝る方がいい ”とか云ったそうだが、自分の印税を使って「その罪」とやらを全部背負っても構わないという意味だろうな!?...ではなかろうな。(苦笑)...多分、“物書きの物知らず”ということだろう!
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