導育甘言集 2014.12   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

本当の治し方 [1230]
『病気の「本当の治し方」 (世古口 裕司著 現代書林 2009年9月 3刷 \1,600+税』 (購入\108税込み)
この本は、大変面白くて、為になる♪ ・・・ 参考図書:「癒す心、治る力
“病気を定義して、マニュアル通りの薬(実は毒!)をくれるだけだから、病院へ行っても無駄!”とか、“薬は毒だ!自分の身体の治癒力を損なうだけ”とか、結構、“世情批判”が厳しいので、読んでいて痛快さを感じる。
だが、著者も「開業医」で、あまり患者にズバズバ言うとお客さん(?)が減るから、近頃は程々にしているそうだが、時々逆療法を行うこともあるという。
自己治癒力が十分ありそうで、反発心もある患者には、“そうだね!あんたは重症だ!相当長い間治療を続けないと治らないよ!”と同意しながら脅しておく手もあるそうだ。(笑)
なるほど!“ナニクソ!”と思わせれば、自己治癒も早いだろうな、と思う。
逆に、「癌」などは、そう定義されただけで、人間の方の心が折れてしまうから、治るものでも治らなくなるという。更に、抗癌剤(≒毒薬)などで自己治癒力を抑え込んでしまうから、滅多に助からなくなる。
ところが、“ナニクソ!”と思った人達が、(医者に“奇跡だ!”と云わせるような)意外な回復力、治癒力を発揮する例も、沢山あるようだ。

この本で、非常に興味深いと思ったのは、「マラリア」と「高い体温」と「癌」の話。
「マラリア」に罹ると人間は体温を42℃位まで上げて原虫を殺すそうだが、「癌」もそれくらいの高温になると壊れてしまうそうだ。
でも、人間の身体は「癌」を危険物とは見做さないから、高熱を発しないで「癌」退治もしないってことだ。
「高体温」が“「癌」の撲滅”に有効なら、素人考えだと、わざと「マラリア」に罹らせたらどうなんだろう?と思ってしまう。
もっと、そうした研究が成されてもいいのに!と思うが、昨今の製薬会社は、“沢山の薬を消費してくれる医療”にしか関心が無いだろうし、医者達も“それに倣え!”にならざるを得ないわけだ。 ...そうして、病院が流行り、製薬会社が儲けるわけだ。

カラスの死骸は [1229]
『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか (矢追 純一著 雄鶏社 1994年10月 7刷 \1,100税込み』 (購入\108税込み)
この本は、色々(真面目で)面白そうな話題が満載で、確かにベストセラーの要素はある。
例えば、表題の“カラスの死骸を見掛けない”という話も、動物の専門家(研究者、飼育者)ですら、“見掛けない!”というからきっとそうなのだろう。 ...と納得してしまう。
でも、“ちょっと待てよ!”と頭の片隅で、疑問の声が湧いて来る。
あまり真剣に追求して来なかったからではないのかな?...実は、そうした疑問を持たせるのが、“著者の狙い”らしい。
本の後の方を読んで行くと、“常識は、疑問を持って見なさい!”という本であることが分かって来る。
私達の“常識”は、一応“科学”という学問を下敷きにしているが、その”科学”はあくまでも便宜上のものであって、“科学が使えない領域”ってのは一杯あるし、“非科学的”というのは、必ずしも“悪者”ではないと、著者は言う。
“あまり常識に囚われるな!ほんの少し常識をはみ出してみたら、もう少し面白い事が出来るし、分かって来るよ!”と仰りたいようだ。
確かに、私もそう思うが、当面は、“私達人間の役に立つか否か”で決めればよいと思う。
先日“非存在”として断罪(?)された“STAP細胞”も、「今の科学的手法」からすれば、生産的ではなく、直ぐに役には立ちそうにないから、早期に決着を付けておくのが正解だと思う。
だが、あの“STAP細胞”をむきになって、“非科学的なもの”だとか、“不正論文の見本”、そして“責任担保問題”として追求するのは如何なものか?
“税金の無駄遣いだ!”といきり立っている人達やマスコミも居るようだが、“科学的な追及の失敗で、税金の無駄遣い”なら他にも一杯あることだし、何も“責任問題にする話”でもない。“もう、捨て置け、捨て置け!”で良いと思う。

かしこいおもちゃの与え方 [1227]
『かしこいおもちゃの与え方 (岩城 敏之著 京都・法政出版 1998年10月 6刷 \1,476+税』 (購入\108税込み)
小さな孫達の所へ行く際には、色々な小物玩具を詰め込んだ大きな紙袋を持って行くのだが、毎回楽しみにしてくれているようで、新しいものを追加するのが怠れない。(^^;?
だが、段々、ネタ切れになって来ているので、智恵を絞るのに苦労している。
この本も、その手掛かりにならないか?と買ってみたもの。
書かれている内容は、大変参考になるし、遊ばせてみたい玩具も幾つかあった。
特に、(紹介されている)「木のハンマーで木の杭・ペグを叩き込む玩具(ハンマー・トイ)」などは、面白そうだ!
(台を裏返せば、またそちらから叩き込めるし、子供も、結構飽きずにやるそうだ。ただ、年齢的にどの辺りまで通用するかだが)
ところが、こうしたものは輸入品しかないようで、値段は高いし、中古品などは殆ど出廻っていない?
一時期だけのものだから少し躊躇するが、試しに購入を検討中。
出来れば、“公共の遊び場”などで備えておいてくれればいいのだが...と思いながら、さる場所の女性監視員(下記)などは、乱暴過ぎて、子供が荒っぽく育つだろうし、皆に迷惑だから叩き込むのは止めてくれ!”って云いかねないなぁ、とも。(苦笑)
それに、リサイクルに廻そうとしても、欲しがる親達が少ないと、業者も引き取らないし、リサイクルにならない難がある。
最近の百均ショップで、色々な小物の玩具を多く見掛けるようになったが、流石に、こうした大型品やライセンス品は無理だろうな。
でも、材料費は安いだろうから、出現を期待したい!

将棋本 各種 [1225]
『将棋本−各種 (小林 健二著 MYCOM 1998年3月 1刷 \1,400+税)など』 (購入\200税込み)
結論から先に書くと、どれもこれも私の役には立ちそうにない本ばかりだった。
“(老素人が)強くなるために、何が必要か?”という問いに応えてくれそうにないからだ。
本の内容が悪いわけではなくて、私のレベルとの相性が悪いだけだろうと思うが。

実は、(初級の)「将棋ソフト」と対戦していて、面白いことに気が付いた♪
相手が、先に“守備”を固めようとしている時は、殆ど私が勝てるのだ。
逆に、相手が好戦的になって“攻め”て来ると、大抵、私が“防戦”一方になり負けてしまう。
...そして、強い相手ほど、“攻め”が速い。
こうした状況への対策について、上記の本群は何も示してくれていない。(苦笑)

「色々な変化の例」を並列的に沢山示してもらっても、どうしてそんな形になって行くのか?そして、後はどちらの“変化”を選べば有利なのか?...というよりむしろ、どれも自分が任意に選べるはずは無いだろうに!などと、不満を感じてしまう。
これは、きっと、私の我が儘のせいだろうと思うし、若い頭脳なら全部の変化を軽々と吸収出来るだろうけど。
私のような老素人には、“相手にこんな癖があって、こんな状態になったのなら、取り敢えず、こちらの方が有利だろうから、こちらを選べ!”と教えてもらう方が、ずっと役に立つと思う。
よって、これらは、(有り難く)「BOOK-OFF」に返納(!)しようと思う。

海将伝 [1224]
『海将伝 中村 彰彦著 角川書店 1996年9月 2刷』 (承前)
この本の中身は、明治の“軍事のプロフェッショナル”海軍軍令部長、死して元帥に序せられた(故)島村 速雄氏の半生の記だそうだ。
少し前までは、「軍事・自衛関係の仕事」は、左翼・共産党・社民党や、所謂反戦主義者などから“目の敵”にされて来た「職業」だが、実は、過酷なほどの訓練を必要とし、なおかつ、“死”を前提としなければならない「プロ集団」は、他に無いと思う。
勿論、「海保」、「消防」、「警察」といった組織も似たような役割を担う「職業」だが、得体の知れない外国人勢を相手にしなければならない分だけ、半端でない能力が要求されるはずだ。(日本人の特性である、“お人好し”では「仕事」にならないからだが)

そうした集団を率いる「将」は、守るべき対象(日本国)の現実を良く知り、その将来を見越した上で、刻々と変化して行く状況に、的確に対応して行く『資質・能力』を持っていなければならないだろう。
勿論、それは理想ではあるが、実際には色々な“しがらみ”や“選ばれ方”があって、なるべきではない人物が「将」になったり、なるべき人物が「将」になれなかったりすることも多いのが現実のようだ。
幸い、明治時代には、優れた人物が「将」として選ばれて来たようで、この主人公もそうしたひとりだったらしい。

他方、私達の今の時代は、優れた人物を選ぶ“環境”の方が、問題・課題ではないか?!と思っている。
例えば、本来は小物で、宰相の器ではない人物達を、ほいほいと選び出した“民主党政権という環境”は、他でもない私達選挙民・有権者が造り出したものではなかったか。
また、先般、“女性の登用 数値目標を義務付け”(日経記事)とかいった馬鹿げた法令を作る?作った?という話を聞いたが、これなど完全に“必要最小限で賄うプロ集団、厳しいプロ意識の欠如の現れ”だとしか思えない。その主旨は、“職業・仕事優先ではない話”だからだ。

海将伝 (前置) [1223]
『海将伝 中村 彰彦著 角川書店 1996年9月 2刷 \1,700税込み』 (購入\200税込み)
近頃は頻繁に、“プロ(フェッショナル)らしさ”ということが気になる出来事が多いので、BOOK-OFFで見掛けたこの本を買ってみた。
本を読み始める前に、“色々な想念”が浮かんで来て、なかなか読み進められない!

例えば、ある牛丼店“すき家”で、私が(若い)アルバイト店員から無視され続けた話。
その理由が良く分からないのだが、恐らく彼の機嫌が悪かっただけなのか?私が、一人用カウンタでなくて、(荷物を置くだけのために)自分の持ち場の“二人席”に座られたせいなのか?
“でもなぁ、お前さん!(プロでなくても)並みの店員だったら、それらしく、マニュアル通りでいいから、まともに客に応対してくれんかね?!”

他の例は、さる博物館の女性監視員が、小さな孫息子に向かって、(私が傍に居るのに)盛んに、“それはやめましょうね!これもやめましょうね!保護者の方は、ちゃんと注意してあげてくださいね!”といいくさる話。
“お前さん、何のプロかね?いっちょ前の養育係りのつもりかい?それとも単なる器物保護係りか?”

一体彼・彼女らは、自分の仕事が、何なのかを意識しているのかな?それなりに、懸命に勤めたい|努めたいと思っているのだろうか?
この本の始めに“清国の水兵達”の質の悪さの話が出て来るのだが、結局、それは清国が滅ぼされる原因の一つにもなったのだろう。
それを考えると、今の調子では日本国だって、先は分からないぞ!と不安になって来る。

つよくなる将棋 [1221]
『つよくなる将棋 武市 三郎著 成美堂出版 2000年9月 1刷 \780+税』 (購入\200税込み)
この本で、「駒落ち将棋(対戦)」での打ち方を教わって、初めて「K-Shogiの初級」に2勝3敗ほどで勝てるようになった!但し、飛車角の二枚落ちで、だが!(苦)
今までは、飛・角を二枚抜いて貰っても勝てず。むしろ、ボロ負け状態だったのだが、この本中に僅かだけ書かれた「二枚落ち(飛車・角落ち)」の項を読んで、“何かが分かったような気”がして、(時々)勝てるようになった。

考えてみると、どうも強い相手は、飛車・角の使い方が巧みで、うかうかしているとそれらに手酷い目に遭わされる事が多い。
他方、弱い相手は、そうした駒の動きが鈍くて、序盤で、それを攻めると勝てる場合が多いのだ。逆に、それらを効果的に動かし始められると、こちらは(そんなはずではないのに!)手も無く負けてしまう。
“ま、駒は、使い方次第だな!”な〜んて“知ったか振り”で纏めたくなるけど、そんな“振り”よりも、こうした大駒の巧い使い方を、何とか会得したいものだ。

『旅のアルバムより』−海外編− (頂き物)  追記あり [1218/20]
大学時代の恩師から(もう“卒寿”になられるそうだが)、メール便で“大変なもの”を頂いてしまった♪
受け取った途端、中身は分からなかったが直感的に、“何か凄い労作に違いない!”と閃いた。(温和だけど活動的な方だからだ)
開けてみて、やっぱり! ・・・ 凄い!素敵な、写真集だった♪(図1、図2<クリック>
被写体には、世界遺産も多いが、当時は撮影も自由だったそうで、今なら難しいだろうなと思う場所も沢山撮られているし、(糊口を意識しないで撮られているから良い素人風味もある)貴重な作品集だと思う。
(ピントも良く合っているし、アングルも良い。失礼ながら、これは「一般的評価」ではなくて、“私好み”だってことで、プロ級の作品に、素人が「評価」など出来はしないからだ)
先生は、昔からオーディオや登山、カメラなど硬派趣味(!)を幾つかお持ちで、それも徹底的に追求されるから、こんな作品集をお造りになられる姿勢・活力は、良く分かる...(と独り合点で、失礼!)
“終わるまで、活き活きと生きる!”という見本を、先生から、改めて見せて頂いた思いがする。感謝!<(_"_)>
 ・・・ 私も、及ばずながら、(支離滅裂だけど、)頑張らなくっちゃ♪

追記:  先生の公開書籍:『フォト紀行 熊野古道 改訂増補版』 

簡単に、単純に考える [1216]
『羽生善治 簡単に、単純に考える 羽生 善治対談集 平尾 誠二、二宮 清純、金出 武雄 PHP研究所 2001年11月 1刷 \1,400+税』 (購入\200税込み)
羽生氏を、皆は天才だ!天才だ!と持ち上げる人達も多いらしいが、私は、“挑戦と努力の人”だと思う。
まぁ、無理せず苦労せずに、そう出来る人を天才と呼ぶのかもしれないが、それなら分かる。(私などは、“苦労は買ってでもせよ!”と毎日唱えていないといけない口だからだ)

平尾氏との対談中にも出て来る話、ものの見方・考え方は、どんな世界でも通用することだろうと思った。
それは、「決断力」と「リスクを負う勇気」で、普通は人間誰にでも求められているはずだってこと。以前は、それが男性に求められる資質だと言われ、思われて来たが、近頃は、どうなんだろう?
私自身は、出来るだけそうありたいものだと思ってはいるのだが、“気力”が無い時には、“まっ、いいか!”などと、適当に手抜きをしたり、無視を装ったりする癖が抜けない。
だけど、自分をより良く生かしたいと思うなら、やはり、常に「勇気」は奮い起こさねばいけないものだと思う。

アダムの呪い 第25〜26章 [1214]
『アダムの呪い ブライアン・サイクス著 大野 晶子訳 ソニー・マガジンズ 2004年7月 2刷 \2,000+税』  承前(1120)
これまでは、「Y染色体(男性)」と「ミトコンドリアDNA(女性)」の戦いの話だったが、「Y染色体」の勢力が勝って来た結果、その強欲さが、ゆっくりとではあるが着実に地球を破壊して来たという。
こうしたことは、外界を意に介さない遺伝子であっても、その乗り物(人間)は、地球(ガイア)という外界と相互作用を持たざるを得ず、またそれを消費・破壊し続けて来たわけだ。
著者は、やがて地球=ガイアから復讐されるのではないか、いや、もう既にそれは進行中だと考えているようだ。
それは、「精子の衰弱化・衰退化」や「Y染色体の損傷」などにみられ、「Y染色体」の未来は危ういとのこと。
他方、「ミトコンドリアDNA」の方は安定極まりないから、「Y染色体」の衰退と相俟って、女性ばかりの未来世界になってしまうかもしれないそうだ。
その未来が何時なのかについては、生殖能力が現レベルの1%になるのが目安になるようで、それには約12万5千年掛かるだろう、つまり我々人類が発生してから、現在までの期間とほぼ同じくらいだとの見積もりだそうな。

まぁ、そんな先の事まで心配する人間なんて殆ど居ないだろうな...けど、私は“その途中経過”には注視しておくべきだと思っている。
それは、私達自身が気が付かないけれども、徐々に動いて行く状況下で、今何が問題か?何処をどんな風に改善して行けば、将来皆が暮らし易くなるか?を考える手掛かりに出来るからだ。
例えば、世界中で女性化、中性化が進行中だ。...さて、その中で、どの人種が生き残るか?
遺伝子的に言えば、国籍などよりも、どの系列の遺伝子が生延びられるか?何処に収斂して行くかは、もう明らかだと思う。
どう足掻いても、(か弱き)“大和撫子”が生き延びるのは、無理かもしれないなぁ。

剣客商売(一) [1212]
『剣客商売(一) 池波 正太郎著 Kobo版 (頂き物)
ちょっとした待ち時間の間に読み始めたのだが、結構面白い。
半日で50%ほど進んだが、どうもまどろっこしくていけない!...頻繁にページを捲って(画面をタップして)いる感じ。
ふと気が付いたら、文字を大きめにして読み易くしているので、1ページの文字数が少ないせいらしい。
“これこれ!”ということで、文字サイズを一つ二つ下げてみた。
俄然、読むスピードが上がった!...のだが、別の作業で手一杯になってしまって、また暫し休眠状態になった。
でもまぁ、こうした小説は軽く手に取ったり置いたり出来るから、いい!

先般から継続して読み進めている「アダムの呪い」などは、“きちんと読まねば・・・”といった強制感・義務感みたいなものがあって、ちゃんと時間を取って読む|読まねばならないので、“順番待ち”にしてある。
でも、「BOOK-OFF」に寄ると、“飛び入り(書籍)”が入ることもあるので、なかなか順序良く片付かない。
とはいうものの、色々な形で“本”(他の人の知識や考えや感覚)を愉しめるってのは、有り難いことだ!

せぼね矯正健康法 [1210]
『せぼね矯正健康法 松原 英多著 徳間書店 1992年5月 51刷 \650税込み』 (購入\108税込み)
“背骨のゆがみが万病のもと”というのが、この本の主旨らしいが、確かに私もそう思うし、だがそれだけではないという気もする。
問題は、“背骨が大事!”という“意識を持つこと”の方が重要ではないか。
つまり、“意識して「背骨」を上手く利用する!”ということ。
この本には、そうするとどんな良い/悪い効果があるかについて、一杯書かれている。
その中に興味ある記述があった。
...ものごとには何につけても差というものが必要である。たとえば、子供が悪いことをして、それをしかる場合、日ごろの愛の表現がゆたかであればあるほど、しかった効果が大きい。指導効果が大きいわけだ。...だが、日ごろの愛の表現がゆたかでないと差があまりでてこない。...
ん?書かれている内容はその通りだと思う!...だが、それが背骨とどう関係するのかな?
“気をつけ!”と気合を入れることなのか?それとも、“シャンと背筋を伸ばして、衿を正せ!”なのか?
・・・ どうにでも勝手解釈が出来る処が面白いのだが。

因みに、私は腰痛が出てきた時、自分自身の筋肉で“(立ったまま)背骨を伸ばす試み”をしている。これが意外に腰痛軽減に効果があることを知った。“そんなわけない!”と信用されないので、他人には内緒なんだが。(笑)

琉球の風(一) 怒涛の巻 [1208]
『琉球の風(一) 怒涛の巻 陳 舜臣著 講談社 1992年9月 3刷 \1,400税込み』 (購入\108税込み)
先頃、何かのメディアで、沖縄の男性達の集まり(会食?)の中で、取材側が「基地移転の話」を問い掛けたら、“その話はご法度!”とか、“家族内でも色々の意見があるからね!”といった返事をしていたのが、印象的だった。
“家庭内(夫婦)”では、やはり、“婦”(嬶?)の方の意見が強いらしい。
この本の中に出て来る(沖縄=琉球が中国・明に冊封していた1600年代の)話で、納得がいった。
『琉球の家の実権は、女性に握られていますね。は、は、は、・・・・・それなのに、なぜ女舞が出来ないのでしょうか。ふしぎですね。』とある。
また、既に、その頃の明国人にすら、「琉球では十軒に九軒はかかあ天下である」と書かれていたようだし、一方、男性達は、琉球人としての誇りを強く、高く持っているとか。

そうしたことを基に、昨今の沖縄基地移転問題を考えると、私には、普天間に基地を置いたままにしようとする女性達(嬶連)の気心が知れない。
なぜ、普天間基地周辺の「子供達の安全・健康」を、自主的・積極的に、何とかして確保してやる気はないのか!?
基地の県外移転が非現実的な話なのは、誰にでも分かることだし、少なくとも普天間周辺の女性陣は、声を上げて“子供達への危険の少ない辺野古へ基地を移せ!”と大声を上げる|上げ続けるはずだなんが?!
「普天間から辺野古への基地移転」は最優先課題だと思うがなぁ。  ...と、そんな事を思いながら、この本を読んでいる。

逆説の日本史 戦国野望編 [1205]
『逆説の日本史 戦国野望編 鉄砲伝来と倭寇の謎 井沢 元彦著 小学館 2002年4月 3刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
先日読み返した「逆・日本史」とは違って、こちらは歴史を逆に遡る...のではなくて、常識化している話を覆して|掘り起こして“真実はこうだった!”という話だ。
例えば、日本(種子島)への鉄砲の持ち込みは、ポルトガル人だったという定説は、実は違う。
王直という明国人海賊・倭寇の親分が、たまたま乗船していたポルトガル人に、鉄砲を撃ってみさせて、それを商売(貿易)のネタに出来ないかと考えていたのが発端だったそうだ。
つまり、ポルトガル人商人も倭寇の首領・王直も、どちらも商売目的で、日本へ持ち込んで来た話のようだ。著者の説はこうだ↓
『日本に鉄砲を伝えたポルトガル人は「商人」であった。そして、その三人の男たちは中国船に乗っていた。その中国船の船主は倭寇の大ボス王直だった。倭寇は基本的には貿易商人である。こう考えてくれば、鉄砲伝来は偶然に伝来したのではなくて、ポルトガル人が貿易を目的に「売り込み」に来たのだ、と考えた方が自然ではないだろうか。』
“倭寇”といえば、直ぐ“日本人の海賊”というレッテルラベル)を貼りたがるが、後の時代では、中国人や半島人などが殆どだったし、彼らの多くは(半分)貿易商人としても活動していたそうだが、そんなのは常識外の話だ。
教科書などには、通り一遍に“持ち込んだのはポルトガル人”という記述しかない(はずだ?)が、手抜きもいいところだな!と思ってしまった。(「π」を「3」で済まそうする怠慢主義と同類だ!)

逆・日本史[4] [1202]
『逆・日本史[4] 神話の時代 樋口 清之著 祥伝社 平成元年7月 18刷 \1,000税込み』 (購入\105税込み)
以前読んだのだが、ウッカリ読み飛ばしていた後半を、もう一度読み返している。
この本は、(私の)知らなかった視点をあれこれ提供してくれるので、面白い!
今回も、[日本人の根本思想]のところで、日本人の文化や技術の“伝承の仕方”について、改めて考えさせられた。
伊勢神宮は二十年に一度、建て替えられる(式年遷宮)のだが、実は、“建築技術の伝承”ということから考えると、その二十年毎の間隔は、人間の寿命を勘案して決められたのだというのが著者の説(?)だ。
勿論、費用面や木材の耐用年数も考慮されたのだろうけど、やはり、「(口伝え・手伝えによる)日本式技術の伝承・伝達方法」が主な要因だという話なのだが、それは、確かに納得出来る。
そうした工芸技術などは、(「マニュアル」や「現物」でなく、)師匠から弟子へと以心伝心で伝えられて来たものも多いから、当然「時間経過」が必要だったわけだ。
日本の文化は、常に丁寧に細やかに、時間を掛けて保存・維持されるのが特長であり、欧米のように“石造りで造りっ放し建築”(後は風化を待つばかり)と違って、神社仏閣などは木や紙で造られているから、丁寧に維持せざるを得ないのかもしれないが、その“古さ”のままで風化・崩壊せずに何時までも残り続ける良さがある。
ただ、そんな(まどろっこしい?)“文化・技術伝達や経路”だが、今では“後継者不足”という形で、段々先細りになっているのではないかと気になる。
それに、『手仕事日本』の良さが、私達日本人自身よりも先に、外国人に認められ評価されるってことは、決して自慢すべきことでも、喜ぶべきことでもないと思う。

[表紙頁]へ  関連記事の目次へ