モグラの繰言 2010.08
哲学と宗教 [0831]
最近、哲学の講義が大人気らしい。ハーバード大のマイケル・サンデル教授のそれ!(議論沸騰は、大変結構な傾向だと思う)
詳しく聞いたわけではないが、推察するに“現代の『多様化した価値観』を整理して考えるための一種の方法論”ではないかと思う。
昔は、誰か賢い(または、偉い?)お方の意見・説に拠って、物事(の良し悪し)を判断・決定すれば、簡単に済んだのだが、近頃は、そう単純ではなくなって来ているからだ。
どの二つを選んでみても、お互いに対立・矛盾するものばかりで、どちらも素直に善悪の仕分けが出来ない。
つまり、AとBの価値がどちらも同じほどの重さになって来ていて、“二者択一が必須の時でも、選びかねて金縛りに遭ってしまう”ってわけ。
まぁ、現実には、各自の価値観は、大抵は(それぞれ狭い範囲内に)固定してあるから、迷う事無く、あるいは多少迷いながらでも、どちらかを選ぶ事が出来るのだが、その基準や選択が正しいかどうか、常に疑いを持つのが哲学で、疑問すら浮かばないのが宗教。(もしも浮かんだら、面倒臭い ので、“神は、矛盾を超越す♪”だっ!
)
若い人達が、(ヘンな宗旨に脳ミソを預けずに、)こんな哲学に熱中するのは、大変好ましい事だ。
ヨコミネ式 [0826]
当県唯一の「ヨコミネ式導入保育園」(先日の幼稚園とは別)に、個人参観をお願いして、快く応対して頂いた。感謝!<(_"_)>
(年少の孫娘も、“保育”に興味があるというので、同伴。参考になったかな?)
園児達は皆、汗でテカテカ、眼はキラキラ♪こちらが傍に立っていると、好奇心一杯で、元気よく挨拶はするし、気易く寄って来る。
でも、勉強中は、“・・・邪魔だ♪じいちゃん、そこのけ♪・・・”とは言わなかったが、皆、一心不乱!(左&左下写真&<クリック>)
園児達ほぼ全員を見て、特に強く思ったのは、皆パワフルで、ポテンシャルが極めて高い!(取り出せば、幾らでも出て来そう)
潜在エネルギーの顕在化!
しかし、今の世の中では、誰もこれを巧く活かせないものだから、“汲み出さずに、勿体無いけど、ずーっと眠ったままにしてある/おくエネルギー源”みたいなものだ。
そのエネルギーを、カケッコや跳び箱、読み書き、音楽として汲み出して見せたのが、「ヨコミネ式」だと納得!
(横峯氏の偉さは、そこ! それは、“跳び箱12段の価値”がどうたらこうたら...って話じゃぁないの!)
批判の話
“そうした園児達が、小学校に入ると、普通の子供に戻る”と笑う人間が居るらしいが、そりゃ、今なら普通に戻るのは、当然だわさ!(せっせと汲み上げなきゃぁ!勝手に噴出する石油なんかじゃないんだし!)
一番の問題は、当然小学校にあるが、その次は親(特に、母親)の姿勢だろうな。
「ヨコミネ式」に全面依存では、それが無くなると、多分旧状に戻ってしまう。親も、自分達なりに自習・成長していないと、子供も“元の木阿弥”になるってこと。
(ネットなどで、経験談や批判を拝見すると、その多くが、“他人まかせ症候群 ”に罹っている模様。もし、“他人依存”に徹底するなら、小学校も「ヨコミネ式」にして!って声を上げたら?)
(余談だが、“「ヨコミネ式」幼稚園では、お絵描きをやらせなかった”と批判している親も居るようだが、この親には、それが大切な事なんだろうねぇ、芸術家にしたいため?それとも想い出に浸るためかな?)
幼稚園から上級へ
小学・中学校もこの「ヨコミネ式」の考え方でやれば、西澤 潤一氏や福島 孝徳氏や宮崎 駿氏のようなパワフルな人が一杯出て来る!(と思う)
勿論、そんな天才・秀才だけでなく、日本の若人全体も一斉にレベルが高くなる(だろう)から、“日本の活性化”なんて、軽いもんだ♪ 経済界・官界・政界の人達も、こんなエネルギーの利用に、もっと眼を向けたらいいのに!(尤も、下手に使うと、公害も多かろうが、そんな時はマスコミの出番だ!?)
上級の具体化
中・上級クラス(小・中学校相当)運営上の課題は、『膨大な教材の準備』、『保育士並みの指導員の育成』、『指導適格者の選別システム』かな?(金は、掛かるけどなぁ...)
中・上級では、子供達自身の“我”や“個性”の問題が出て来るだろうから、もっと丁寧な目標設定や実施の仕方・仕組みが必要になるかもしれない。
まずは、“実験校の創設”から徐々に始めるとしても、世の中/社会を啓蒙/レベル・アップをし、それと擦り合わせしながらでないと、成功は予想以上に難しいかも。
(しかし、基本は“自学自習”だから、滑走路を何処まで伸ばせば良いか、だけの問題だろう)
筆記体 [0824]
年少の方の孫娘が、泊りに来て、夏休みの諸課題に“自主挑戦”していたのを、側面支援していた時の事。
補足用の例文を持たせて帰したいと思い、白紙の上にせっせと手書きしていたら、トンでもない話になった!
何と!“英語の筆記体は、習ってない”んだそうな。だから、“手書きは、読めな〜い”ってな事に。(えーっ?!)
“ゆとり教育”の余波か。(何て事を、してくれたんだ!)
止むを得ず、“直接本人と打ち合わせ”!をしながら、出来るだけ読み易いように書き直したのだが...
本人とは、“習ってないと、困るよねぇ”と話をしていたものの、何故、学校で覚えられる時期に、覚えさせる努力をしてくれなかったんだろう?と、下手糞な半活字体でモタモタ書き直しながら、恨めしく思った。(お蔭で?予定量の半分以下で、時間切れ。。。)
(勉強なんかしなくったって、ちゃんと生きて行けるんだと云う風潮は、人間同士の意思疎通の手段すら、削って行くのでは?)
正義の見方? [0822]
“隠蔽だ!”、“隠蔽だ!”と騒いでいるようだけど、何か“突込み処”を間違っていないか?
単に、マスコミに内情を公表しなかっただけの事のように思えるが...公表しない事が“悪”であるかのように報道するのが“正義 ”なの?
それで、カメラ群の前で、責任者が頭を下げたら、その“正義 ”は勝ったの?
どうも、最近の報道関係者のやってることって、何だか安っぽいなぁ?(我々読者は、ミーハーばかりではないんだがねぇ)
それに、この新聞、朝刊で書いた同じ見出しを、夕刊でも使うって、全く内容を掘り下げていないって事ではないの?(編集者が違う/別人だって云っても、それは言い訳だし)
『こんな事故は、統計的には起きて当然なのだが、どうやればコストパフォーマンスの良い事前・事後対策が打てるかを、一緒に考えよう!』てな、提案すら出来ないんだもんねぇ。“隠蔽だ、隠蔽だ♪”って云ってりゃ、済むと思ってんだろうな。
“事件・事故は、何でもお前らのせいだ!お前らが悪い!責任者は頭を下げろ!症候群”が、“正義 ”を自負する関係者達にも蔓延して来ているのは、堪らんなぁ。
三面記事? [0820]
やはり、マスコミは、紙面を作るために、何事も『針小棒大 』にしないと気が済まないらしい。しかも、税金浪費の屑テーマで。
以前なら、三面記事にしかならなかった内容を、第一面に持って来ているが...そうすれば、“読者に受ける”と思っているのかなぁ。(他に、軟らかいネタ、つまり、咀嚼・消化し易いものばかり食べさせて歯や顎を弱くする記事?!..が無い?)
本当に他にテーマが無いのかと、同じ紙面を見ると、左側に日本の経済を左右するような記事(“中国が希少金属の輸出を減らすそうな”)がある。
こんなテーマは、(それの是非については、意見が分かれるかもしれないし、)一般人には難しくて、面白くないのだろうけれども、易しく解説しながら重大性を訴える記事に、しようと思えば出来るはずだ!
最近、“池上 彰さんの解説”に人気があるのは、そうした“硬い物事”でも、自分自身で噛み砕いて食べたいと望んでいる人達が多いからだと思う。
その風潮・傾向をやっかみ半分で見ずに、他のマスコミも自分達の“反省材料”として見直してはどうだ!
平和のために [0818]
中国が、(良くない)軍備拡張 に精を出していると云うのに、(隣国で、平和憲法を持つ)日本がこんなに大人しくていいのかな?(平素は、“罵詈雑言悪口満載 ”の週刊誌なども静かなもんだ)
日本が持っている憲法の精神で、戦争をしない方向に歩むのなら、前向き姿勢で、徹底して隣国にも協調を求めるべきだろう。
「中国の軍備拡張は、アジアの平和、世界平和を脅かすものだから、即刻止めて下さい!」と叫ぶべきだ!
これを(沖縄基地国外論の)社民党などが率先して、大声を挙げたらどうなの?(ちゃんと理論武装をした上で、)こんなので大パフォーマンスをして、何故、失地回復を狙わないの?
(広島・長崎に絡めた“核廃絶への祈り”は、評価出来るが、そこから更に前へ!)
向うから何を言い返されようと、良くないと考える事には、きっぱり反論すべきではないのかねぇ。
恐らく、「他国の事に、干渉するな!」とか「今も昔も、力が唯一だ。マイナーが、何をほざく!」と切り返して来るのは目に見えているし、国内でも今の政府辺りが“まぁまぁ、外交上、抑えて、抑えて♪”とか足を引っ張るかもしれないが、それらに負けずに、もっと『平和は、正義だ!』の音量を上げるべきだよね!(それとも、“政治と金”問題の方が、アンチョコでいいか?)
(我々一般日本人も、もっと見識を広げて、武器ではなくて、『言論』や『交渉』で他国に対抗出来る知恵を持たないといけない時代だ!平和は、何もしなくても何とかなるものではなくて、自分達で攻め取るべきもの!だろうと思う...そのためにも、早く!...賢くて、優しくて、強い若者達を育てよう!...夢だが...)
鍛錬 [0815]
左記事のような“育児疲れ ”や“育児放棄 ”などの話は、マスコミで針小棒大に報道されるだけでなく、実際の件数も増えて来ているのだろうと思う。
原因は周知のごとくで、世の中の便利さにかまけて、“仕事”や“作業”を、何でも“楽(らく)ちん♪”にしてしまっているから、“身体”や“精神”が随分と鈍(なま)って来ているせいだろう。
そのため、“ちょっと面倒な作業”になると、やるのが億劫になるし、本当は必要な作業なのに、“面倒臭い! ”と手間を惜しんで、楽な方/何もしない方を選ぼうとするわけだ。
また、我々普通人は、この記事のような母親には、つい“疲れていたんだろう”と同情を寄せたくなるが、本当は逆で、これを“反面教師”として、若い人達に、そんな弛んだ真似/振る舞いをさせないように、早い内にちゃんと訓練・鍛錬すべきだろうな。十分耐えられるはずだし。
(尤も、我々自身、もう弛んでしまっているから、既に“反面教師”だし、まともな指導はし辛いけど)
宗教税 [0814]
用語の誤認があり、自主規制により削除[0815]
人材育成 [0812]
左記事(番組表)は、“ヒミツ”と言うより、『人材育成の極意』とでも言うべきか。
左の番組で、宮崎 駿氏等の、若いアニメ監督を一人前にするための努力(と、本人の努力)を見せて貰った。
別バージョン:ZEROスピンオフ 【借りぐらしのアリエッティ】
(YouTube 残念ながら、動画は削除されてますが)
同じような育て方を、横峯 吉文氏が 【天才教育保育園の夏合宿】』(YouTube 動画は削除されてますが) で実践されている。
やはり“子育て、人育て”の基本は、“本人の自立心に任せて、傍でじっと黙って見守ること”に尽きるようだ。
願わくば、全ての親や指導者がこうあって欲しいものだが、それが叶わないから、実際に本物を見せられると感動してしまうのかもしれない。
・・・ただ、この事は、自ら成長しようとしている子供・人の場合であって、逆に退化し始めた人・成人には“無視・黙殺”しかないだろうな。
日本像 [0810]
最近考えている、日本の現状とあり方。
−財政
+国の財政破綻は必定なるゆえ、財務官僚達が必死で増税を考えるのは当然のこと!
+事務方の官僚だけを悪者にして、何の益・得がある?
+強いて挙げるとすれば、税金泥棒は能天気な国民自身。他人の落ち度ばかり責めるが、自分達は?
+見えない借金(赤字国債)を使っての“国民の幸せ”に酔い痴れながら、身の内は腐り果てる
−政治
+赤字国庫を、巧みに、見え難い借金にすり替えて来たのは、賢い?政治家達
+国庫から好き放題毟り取りながら、国民は納税・重税は嫌だ!と言うし、政治家も平気で尻押し
(使うのは他人の税金、納めるのは自分の身銭、だから賢い奴は納税を回避する)
+“取り易い所から”でなく、“沢山持ってる所から”税金を取れ!って、法律を作った政治家は居る?
+国民を諌めたり、お灸を据える政治家は、嫌われるし・・・(まぁ、皆昔から清貧は嫌いだもんな)
−軍備
+平和♪、平和♪はいいけれど、攻めて来られりゃ、タスケテー!(誰に言ってんだ?)
+防衛も、他人任せの日本人、そんなに請うなら居てやろう・・・米国軍
+本当に、自分達が守れるのか?日本人・・・(何でも、“他人のせい”にしてりゃ済むもんな♪)
−犯罪
+裁判員制度で、軽過ぎる量刑・刑法の見直しを考えたか?司法
+“殺された人はもう人権が無い”って、“生きるべきだった人の人権”を無視する”死刑廃止”論者達
+再犯率が高い犯罪に、何も手を打たない立法。重罪化で、犯罪低減の実績は無いの?
−教育
+そんな社会が頼るべきは、子供達・次世代人ばかりなれど、まともに育てようともせず
+今やるべきは、子供達の促成栽培!=早く有能に育て上げること(愛情二の次、手法優先)
+つまりは、“日本教育大革命”といった大回転が必要・・・(だが、まぁ、出来ないだろうけど)
英語授業 [0808]
“実用的な英語”教育を目指して、外国人の外国語指導助手を使うという各教育委員会の努力だけは、評価出来るが、教師は労働者だというのが大前提になっているから、「労基法」に引っ掛かるのは、仕方が無いし、こうしたやり方自体、知恵不足!
これは、“労基法が適正か?”などという問題では無くて、もう普通労働者が、安直に“授業=業を授ける”というやり方そのものが、間違っているからだろうと思う。
本来、外国語は、細かく教えられて使えるようになるものではなくて、“(自発的な)見よう見真似”で覚えるものではなかろうか?つまりは、自学自習の延長形だろう。
必要なのは、“学ぶ動機付け”と“真似する環境”と“意欲の喚起”の三つで、これらをちゃんと揃えてやらないとダメではないか?(“効率的”で“経済的”な方法は、無いかもしれない。それに、割り当てられる時間も少ない。気に食わないが、バーチャルなシミュレータ環境や催眠教育などでやるしかないかな?)
保育見学 [0805]
ビデオや書籍だけでは不満足で、実際の保育現場を自分の眼で見たいと思ったので、“見学会”を催されている保育・幼稚園を探して、見学させて頂いた。感謝!<(_"_)> (左写真&<クリック>)
驚いた事に、園児たちが皆んな、とても頼もしそう、それも粒揃いなのだ!(目顔で挨拶や一瞥(べつ)したり、こちらの気を引いたりもするし、寄って来て、こちらの扇子を横取りしておもちゃ扱いしたり、取り合いをしたり)
(皆、悪戯は大好きのようだけど、素直で、宝石もどき!でも、昔の子供時代の記憶と比べて、こんなに粒?が揃っている事には驚いた!乳児期からの栄養状態が改善・均質化されて来たせいなのかな?)
それでも、「“文字書き”の練習」などでは、それぞれの子供で進度に差があるし、熱意の度合いも違うようだ。たった3〜5歳で、何故、こんなに差が出て来るのだろう?(粒が揃っているだけに、余計にそう思う)
果たして、“それが個性だ♪”だけで、片付けても良いのかな?そして、遅れがあればその差を埋めさせる、あるいは伸びるものは伸ばす努力もせずに、成長させていいのかな?と、疑問重積。
“当人達”を見ていると、やらせれば、押し方次第で、どの子/児も結構やりそうな感じがある。
それが、園の役割なのか、家庭の役割なのか、まだよく分からないのだが、いずれにせよ、大人のエゴや思い込みで押し付ける のではなくて、子供をよく観察しながら、支援してやることが大切だなと思った。
(面白い事に、練習中傍に立つと、やたら力んで書き出す男児も居れば、書いているのを隠してしまう女児も居た。理由は尋ねず)
自学自習 [0804]
(短いと説明不足になり易いが、出来るだけ簡潔に『自案』を羅列してみる)
目的は、世界を引っ張って行ける『賢い凡人達』の育成と『抜きん出た秀才・天才達』の醸成。
義務教育での、学習のさせ方について、
+“座学”で、教科を「教える」のは、早期に廃止
+“生徒”は、事前・個別に、自習法のトレーニングを受ける
+“学習”は、すべて「自学自習」を基本にする
+“教師”は、一定の手法を駆使して、“自習支援”に徹する
+“講習”は、面白い講師による単発的なイベント扱いで実施
+“教科書”は、肯定説、否定説、中庸説、全てを読ませる
+“参考書”は、ニュースも含め多量に常備し、散逸・破損・紛失には罰則
+“自習進度”は、毎月、学内公開する(従来の成績表発行も可)
+“低学年”では、現存知識ベースを全て覚えさせる
+“中学年”では、「矛盾する説」同士の“評価の仕方”を訓練する
+“高学年”では、「問題解決の方法」を訓練する
+“新しい解決法”、“ユニークな解決法”の案出時には、記名付きで学内・外公表する
+“体育”、“音楽”、“美術”、“英会話”には、一定時間を割き、講師の指導下で練習させる
(トラウマ:実は、昔々中学生の頃、社会科の亀■という教諭から、“自分でテーマを決めて、自分で学習しなさい!”って放り出されて、途方に暮れた覚えがある。“何のトレーニングも受けていないのに、そんなの出来るかっ!”て言えばよかったんだが、何しろこっちは頭の悪い生徒だったし、変なテーマを書いて出したら、“そんなテーマで?お前アホか!”と言う顔付きをされたもんなぁ。
その教諭は、教育熱心との評判で、研究会などに頻繁に参加していたので、その度に自習だったが、今から思うと本末転倒!)
自助自救! [0803]
また、自然災害が、“他人のせい ”か?
こうした報道を見る度に、被害者や遺族には、お気の毒というより、腹が立って来る。
“自分達の命”を守るのに、果たして自分達自身で必死になって努力したのだろうか?(勿論、危険予測・避難行動も含めて!)
それに失敗して、命を落としたのなら、仕方の無いことでは?
(もしかして、強く要請したのに、行政は何の支援もしなかった、あるいは邪魔したとでも言うのかな?)
それを、へ理屈を付けて“支援側(行政)”を相手に訴訟をやるって事は、何かを勘違いしたまま、生きて来たのではないか?
(それに、最近のマスコミや司法が、何でもかんでも同情してしまうからか?)
『社会』って、基本的には“相互扶助”で成り立つものだが、弱者を装って“自分達の責任部分 ”を削り、“常に保護される権利”だけを振り回して、要求するのは止めてくれんか!(子供達の教育上、大変よくない!)
(逆に、自力でやり遂げようとする、こんな子供達を見習って欲しいものだ!YouTube 残念ながら ・・・ “この動画は、Fuji Television Network, Inc. さんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました” ・・・ だそうですが)
現本購入 [0801]
先般から引用させて貰っているのに、『本』も買わないようでは、多少道義に悖(もと)るかな?と思ったので、1冊ずつ買って来た。
+『スポーツ速読』 呉真由美著、扶桑社(\1,380税込)
+『「ヨコミネ式」天才づくりの教科書』 横峯吉文著、講談社(\1,200税込)
速読の方は、じっくり自習しようと思っているが、5x5マス内の1〜25の“数字読み取り練習表”は、無理に次々パターンを変えなくても良いそうだ。(眼から鱗!自分で作ってみた1、2、3)
「ヨコミネ式」の方は、大変興味深く、愉しかったのだが、保育園・幼稚園の先の小・中学校の(未だに改善されない)現状を思うと、少し気が重くなる。
しかし、一方で、救いは、横峯吉文氏が、(鬼才でなくて)“真面目で子供好きの庶民派秀才”であること。
また、支援・運営されている保母・保育士達も、(秀才連でなくて)“子供達に優しい普通の人達”であること。
これは、敷居が高過ぎず、一般の我々も無理なく見習う事が出来て、容易に活用出来るということでもあり、大変有り難い。
追記:世の中では、「ヨコミネ式」には、賛否両論喧(かまびす)しいようだが、大事なのは、自分/子供/自分達が、どれだけ“良い所取り”出来るか!だと思う。
どんな方式(論)も人間の考え出す手法だから、全て優れているわけでもないし、全て悪いわけでもないのが、当たり前。だから、選べる中で最良のものを、自己責任で選ぶべきなんだが。
(まぁ、自分のやれない事、やりたくない事は何でも、放っておく か、神頼み したいもんなぁ)
[表紙頁]へ 関連記事の目次へ [一言板]へ